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第14話 本気の想い

ー/ー



 英雄の息子だと公表されてから数日が経つ。
 エリアスの周囲はいまだに落ち着く様子がない。

 王城内を歩いていればすれ違う人から無遠慮に視線を投げられ、ひそひそと小声で話しているのを見かける。
 どこを歩いても遠巻きに見られ、好奇の的にされる。

 それだけならまだいい。
 エリアスを派閥に取り込もうとする貴族たちの動きも出始めている。
 以前よりも機嫌を取るように話しかけられることが増えて、とても面倒くさい。

 エリアスが貴族たちの話を真剣に聞くはずもなく、適当にあしらうのが常だった。
 大抵はトリスタンを盾にして逃げている。

 ほとんどはロベルトのことを恐れていて、深く切り込むような会話はしてこない。
 それでも精神的に疲れは溜まっていた。

 普段通り、トリスタンの執務室で警護をしていても、珍しく同僚やトリスタンに心配されてしまう。
 エリアスが丈夫な身体を持っているとしても、浮かない表情や、ぼんやりした様子では仕方がない。

「疲れているようだな。顔色が悪い」
「まあ、今の状況では仕方がないですよ」

 乾いた笑みを浮かべていると、トリスタンは眉根に皺を寄せている。
 王子のきつい印象の顔が、愁いを帯びて痛ましく歪んでいる。
 上司の悩ましい表情に気づいて、エリアスは首を横に振った。

「大丈夫ですよ。普段からおかしな噂には慣れています。それに英雄の実子だと知られているからか、変な輩には恐れられて、絡まれることは減りました。前に比べれば平和です」

 表面上は何もなく静かではあるものの、嫌な視線の数は増えている。
 怯えや畏怖だけならまだいい。
 エリアスを利用しようと画策している連中もいるのは分かっている。

 獲物を狙うような視線は、殴れば消えるというものではない。
 実際に手を出したとしたら、以前よりも問題になってしまう。
 考えるよりも身体を動かす方が得意なエリアスからすれば、厄介な状況である。

「相手が形のあるものなら、捻って潰してしまえばいいだけなんだが……」

 聞こえるか聞こえないかの声でぽつりと漏らすとトリスタンが苦笑する。
 頭の中も筋肉でできているエリアスでは、どうしても物理的に解決しようと考えてしまう。
 そのほうが自分らしいし、鬱憤も発散できるというものだ。

「そろそろ休憩の時間ですし、ゆっくりさせていただきます」
「そうするといい」

 話が終わるのと同時に、部屋の扉が叩かれる。
 外に待機している騎士からセドリックの訪問が伝えられる。

 エリアスは顔には出さないまま、内心ぎょっとする。
 国王の公表から一度も顔を合わせていなかった。
 もしそんなことになれば不審な態度を取っていただろう。

 魔力調整を粘膜接触で受けてから、ばたばたしていてまともに顔を合わせていない。
 以前会ったのは、トリスタンの執務室で皆と一緒だった。
 そのときはひとりではなかったから、普通の態度でいられた。
 
 それから会わずにすんでいたから安堵していたものの、いつどこで接触があるか気になり、却って落ち着かずに過ごしていた。
 まさか、正面からやってこられるとは思っていなかった。

 セドリックがトリスタンと会話したのを見たのは、真実が公にされたとき以来だ。
 二人の王子は仲が悪いわけではないのだが、親しいわけでもない。

 貴族の派閥を刺激しないように、互いに近づかないのだ。
 それなのに、満面の笑みを浮かべての来訪である。

 セドリックが部屋に入ってくると、彼のアイスブルーの瞳とエリアスの視線が交わる。
 柔らかな視線を向けられて、背中の辺りがむずむずと落ち着かない気持ちになった。
 反射的に動揺したのを悟られていないか、内心冷や冷やする。

「兄上、どうしたのですか?」
「少しエリアスに話があるんだ。借りてもいいか?」

 断ってほしいと思ってトリスタンを見るけれど、戸惑うトリスタンはそんなエリアスには気づかない。

「それは、構いませんが……」

 ちらりとエリアスを見る第三王子の視線に説明を求める意味が込められているのに気づく。
 ここで答えるのも憚られて、軽く首を横に振った。

 以前セドリックの部屋で夜を過ごした後、トリスタンに訝る視線を向けられて生きた心地がしなかった。
 説明しなければと思っていたのに生活が落ち着かなかったこともあり、トリスタンと話す機会がなかったのだ。
 だからセドリックがトリスタンにどう説明したのかも、エリアスは知らないのである。

「エリアス。少しなら休憩が長引いても構わない。後で説明してくれ」
「承知しました」

 トリスタンの声に頷いて、セドリックの側に近づく。
 面倒なことになったと内心頭を抱えていると、セドリックがトリスタンに視線を向けた。

「このことについては俺から話すから、エリアスには何も聞かないでくれると助かる」
「……分かりました」

 トリスタンに面倒な説明をしなくていいのなら助かる。
 けれどすぐにセドリックの説明とはどのようなものなのか心配になる。

 後でしっかり自分からも説明しようと覚悟を決めた。
 セドリックに付き従い、部屋から出る。
 連れて行かれたのは彼の執務室だった。

 道中、第二王子は何も話しかけてこなかったため無言で歩いたけれど、途中で出会う人からはやはり嫌な視線を向けられた。
 セドリックはそれを不機嫌そうにして見ていた。

 無言で奥の私室に案内された。

 ベッドが鎮座している部屋を見て、部屋は違っているけれどともに過ごした夜を思い出してしまう。
 魔力を乱されていなければ、一方的に口吻を受けるだなんてことにはならなかったはずだ。

 それでもセドリックに少しでも触れられてしまえば、どうしても魔力が乱れてしまう。
 今日は側にいるのに魔力が安定していることに、エリアスが気づくことはなかった。

 視線を向けようともしないエリアスは背後から近づく気配に気づいて、仕方なく振り向いた。
 存外近い距離に立つセドリックを見て、反射的に一歩下がってしまう。

「俺になんの用だ?」

 驚いたことを隠すように、深緑の瞳で睨み付けると、それまで表情が薄かったセドリックの顔に柔らかな笑みが浮かんだ。

「約束を覚えていたんだな」

 うれしそうに言われて、戸惑ってしまう。
 丁寧に接しないという約束を守るのは、騎士としてはどうかと思う。
 ただ約束は約束だ。一度したのだから反故にする気はない。

 どうしてそのことがそれほど嬉しいのか、エリアスにはよくわからなかった。

「約束したんだし、守るのは当たり前だろう」
「なかったことにされるかと思っていた」

 そういう考えも浮かびはしたけれど、何となくこの約束を破ろうとは思わなかった。
 うれしそうにしているセドリックを見ていると、どうやら自身の判断は正しかったようだ。

「もどかしいな。触れたいのに触れられないとは……」

 微笑みを浮かべているセドリックの声には、苦いものが含まれている。

「もしかして、気づいたのか?」

 驚愕の思いでセドリックを見る。その表情から心底残念だという感情が見て取れた。

「俺が触れたら魔力が乱れるんだろう?」
「何で、分かったんだ?」
「まあ、理由はあるが……今は言えないな」

 セドリックはもどかしそうに目を伏せている。
 顔を見ていれば話したくても話せない理由があるのだと分かる。
 それがなぜかすっきりとしない。
 靄がかかるように、自分でも感情が掴めない。

 釈然としないセドリックの態度に感じた自身の思いを、エリアスは意外な面持ちで見ていた。
 なぜそれほど知らない相手に対して、残念に思わなければならないのか。
 自身の想いに戸惑っていると、セドリックが驚いたような顔をしていた。

「そんなに理由が気になるのか?」

 妙に聡い男だと思いながら、自分の感情を俯瞰して見る。

「そういうわけじゃねぇけど……気分がすっきりしない」

 セドリックにはこの感情の意味が分かるのかと問うように視線を向ける。
 少し考えるようにして、王子が口を開く。

「もしかして、隠し事をされて嫌なのか?」
「は? なんでそんな子どもみたいなことを……」

 否定しようとして、すぐにそれがしっくりくることに気づく。
 子どものような自身の感情に羞恥が湧いてくる。
 じわりじわりと頬に赤みが差してきて、その場に蹲りたくなった。

「俺はただの駄々っ子か?」

 金髪を手で掻き回すようにしていると、セドリックはうれしそうに笑った。

「なんでそこで笑うんだよ?」
「いや、なんでもない。気にするな」
「子どもぽいって言いたいのかよ」
「そうじゃない」

 笑いを収めると、真剣なアイスブルーの瞳が弧を描いて見つめてきた。

「俺に興味があるとわかって、嬉しくなっただけだ」

 恥ずかしげもなく言われてしまい、居たたまれない。
 この場から走って逃げ出したくなる。
 赤らんだ顔から湯気が出そうだ。
 セドリックは話すことを拒否したのに、しつこく聞いた自分が悪いとも思う。

「……ああ、もう! この話は終わりだ。で、あんたの用件はなんだ? 雑談するだけか?」
「それもあるが、きちんと言っておこうと思ったんだ」

 途端にまっすぐに鋭く、強い視線で射貫かれてしまう。
 その視線で顔から熱は引いたのに、今度はぶわりと全身から汗が噴き出る。
 獲物を前にした猛獣のようなセドリックに、何を言われるのかと身体を硬くした。

 先程からずっと、自分の発言で墓穴を掘り続けている気がする。
 反射的に唾液を飲み込むと、その音がやけに大きく聞こえた。

「たいしたことじゃない。俺はおまえが気に入った。だから口説かせてもらう」
「……へ?」

 エリアスは麗しく整った美貌の顔を呆けさせて、形のいい唇から間抜けな声を漏らした。

「エリアスのような人間が側にいると楽しいだろうと思ったんだ。それだけ端正で人形のように整った顔をしているのに、まったく中身は細やかじゃない。素だと乱暴な話し方で、貴族らしいとは言えない。お前は見ていてまったく飽きない」

 言われている内容はまるで褒められているような気がしない。
 しかし本人は至って真面目な様子だ。
 貶しているわけでも、怒らせたいわけでもないようだ。

 エリアスの性格をよく理解しているし、真実でもある。
 ただなぜか落ち着かない。そわそわと身の置き所に困ってしまう。

 セドリックの視線が強すぎるからだろうか。
 エリアスは目を彷徨わせながら、王子に問う。

「えーと、そんな理由で俺を気に入ったのか?」
「エリアス。お前のような人間が側にいれば、俺も楽しい人生を送れる。そんな気がしたんだ」
「それ、どういう意味で口説くのか分からねぇんだけど……」

 気に入ったと言うけれど、どういう意味で言っているのか疑問に思う。
 はじめて直接会話をしたときからこれまでの流れを思い返す。

 この話を聞いた瞬間は恋愛の意味で気に入ったのかと思った。
 しかし今の言い方であれば、部下として側に置くという意味にも受け取れる。

「触れたいのに触れられないと言っただろう。ただの側近としてではない。お前のすべてがほしい。忠誠心や関心、感情、身体も、すべてだ。できれば何もかも全部がほしい」
「いや、全部は無理だろ」

 身体と言われて動揺したのを悟られないように、努めて冷静な顔を保つ。
 やはり恋愛の意味合いもあったのだ。

 しかし現実的に考えて、すべてをセドリックに捧げるのは難しい。
 近衛騎士ではあるけれど、エリアスはトリスタン専属の騎士である。
 そして一人の人間として、他のことに目を向けずに生きていくことは不可能だ。

「はっきりと言い切るところもいいな」

 セドリックはうれしそうに微笑んでいる。

「俺もすべては難しいと思っている。だがそれだけ真剣だと言っているんだ」
「たった一日、同じベッドで寝ただけじゃねぇか。なんでそんな重い感情を向けてくるんだよ」

 他の人間が聞いたら誤解しそうな内容を言った自覚はある。
 けれどセドリックはその意味を正しく受け取った。

「それは俺にも分からないが、どうしてもほしいと思ったんだ」

 楽しげな表情は、気に入った玩具をほしがっているようにも見える。
 けれどエリアスに向けられるアイスブルーの瞳は真剣で、燃えるように揺らめいている。
 どう見ても玩具に向けるような、単純な視線ではない。

「あれほど口吻をしたのに素直に後ろをついてくるから、お仕置きをしようかとも思ったが……」
「やめてくれ」

 即座に止めると、王子は苦笑する。
 仕置きをされていない現実に、ほっと安堵の息を吐く。
 エリアスが冷淡な視線を向けてぼやいても、セドリックが気にする様子はない。

「強引に触れてもよかったんだが、あれはだめだな。エリアスが色っぽすぎる」

 首を緩く振っているセドリックの瞳に烟るような色欲が見えて、咄嗟に顔を背ける。
 一瞬で全身から匂い立つような色気と、強い感情を向けられて戸惑う。
 恥ずかしげもなく正面から向けてくる熱を、素直に受け止めることができない。

「俺も警戒されたくないから、これ以上手を出すつもりはない。だがあの表情を他の人間には見せないよう気をつけてくれ」

 セドリックの願いを拒否することは簡単だった。
 それをするにはあまりにも危険で、妖しい瞳を向けられてしまい、渋々ではあるものの頷くしかなかった。

「これから先は遠慮しない。覚悟していろ」

 艶然と微笑む男に戦慄を覚えながら、エリアスは自分を守るように腕で身体を抱きしめるしかできなかった。


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次のエピソードへ進む 第15話 クラレンスの呼び出し


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 エリアスの周囲はいまだに落ち着く様子がない。
 王城内を歩いていればすれ違う人から無遠慮に視線を投げられ、ひそひそと小声で話しているのを見かける。
 どこを歩いても遠巻きに見られ、好奇の的にされる。
 それだけならまだいい。
 エリアスを派閥に取り込もうとする貴族たちの動きも出始めている。
 以前よりも機嫌を取るように話しかけられることが増えて、とても面倒くさい。
 エリアスが貴族たちの話を真剣に聞くはずもなく、適当にあしらうのが常だった。
 大抵はトリスタンを盾にして逃げている。
 ほとんどはロベルトのことを恐れていて、深く切り込むような会話はしてこない。
 それでも精神的に疲れは溜まっていた。
 普段通り、トリスタンの執務室で警護をしていても、珍しく同僚やトリスタンに心配されてしまう。
 エリアスが丈夫な身体を持っているとしても、浮かない表情や、ぼんやりした様子では仕方がない。
「疲れているようだな。顔色が悪い」
「まあ、今の状況では仕方がないですよ」
 乾いた笑みを浮かべていると、トリスタンは眉根に皺を寄せている。
 王子のきつい印象の顔が、愁いを帯びて痛ましく歪んでいる。
 上司の悩ましい表情に気づいて、エリアスは首を横に振った。
「大丈夫ですよ。普段からおかしな噂には慣れています。それに英雄の実子だと知られているからか、変な輩には恐れられて、絡まれることは減りました。前に比べれば平和です」
 表面上は何もなく静かではあるものの、嫌な視線の数は増えている。
 怯えや畏怖だけならまだいい。
 エリアスを利用しようと画策している連中もいるのは分かっている。
 獲物を狙うような視線は、殴れば消えるというものではない。
 実際に手を出したとしたら、以前よりも問題になってしまう。
 考えるよりも身体を動かす方が得意なエリアスからすれば、厄介な状況である。
「相手が形のあるものなら、捻って潰してしまえばいいだけなんだが……」
 聞こえるか聞こえないかの声でぽつりと漏らすとトリスタンが苦笑する。
 頭の中も筋肉でできているエリアスでは、どうしても物理的に解決しようと考えてしまう。
 そのほうが自分らしいし、鬱憤も発散できるというものだ。
「そろそろ休憩の時間ですし、ゆっくりさせていただきます」
「そうするといい」
 話が終わるのと同時に、部屋の扉が叩かれる。
 外に待機している騎士からセドリックの訪問が伝えられる。
 エリアスは顔には出さないまま、内心ぎょっとする。
 国王の公表から一度も顔を合わせていなかった。
 もしそんなことになれば不審な態度を取っていただろう。
 魔力調整を粘膜接触で受けてから、ばたばたしていてまともに顔を合わせていない。
 以前会ったのは、トリスタンの執務室で皆と一緒だった。
 そのときはひとりではなかったから、普通の態度でいられた。
 それから会わずにすんでいたから安堵していたものの、いつどこで接触があるか気になり、却って落ち着かずに過ごしていた。
 まさか、正面からやってこられるとは思っていなかった。
 セドリックがトリスタンと会話したのを見たのは、真実が公にされたとき以来だ。
 二人の王子は仲が悪いわけではないのだが、親しいわけでもない。
 貴族の派閥を刺激しないように、互いに近づかないのだ。
 それなのに、満面の笑みを浮かべての来訪である。
 セドリックが部屋に入ってくると、彼のアイスブルーの瞳とエリアスの視線が交わる。
 柔らかな視線を向けられて、背中の辺りがむずむずと落ち着かない気持ちになった。
 反射的に動揺したのを悟られていないか、内心冷や冷やする。
「兄上、どうしたのですか?」
「少しエリアスに話があるんだ。借りてもいいか?」
 断ってほしいと思ってトリスタンを見るけれど、戸惑うトリスタンはそんなエリアスには気づかない。
「それは、構いませんが……」
 ちらりとエリアスを見る第三王子の視線に説明を求める意味が込められているのに気づく。
 ここで答えるのも憚られて、軽く首を横に振った。
 以前セドリックの部屋で夜を過ごした後、トリスタンに訝る視線を向けられて生きた心地がしなかった。
 説明しなければと思っていたのに生活が落ち着かなかったこともあり、トリスタンと話す機会がなかったのだ。
 だからセドリックがトリスタンにどう説明したのかも、エリアスは知らないのである。
「エリアス。少しなら休憩が長引いても構わない。後で説明してくれ」
「承知しました」
 トリスタンの声に頷いて、セドリックの側に近づく。
 面倒なことになったと内心頭を抱えていると、セドリックがトリスタンに視線を向けた。
「このことについては俺から話すから、エリアスには何も聞かないでくれると助かる」
「……分かりました」
 トリスタンに面倒な説明をしなくていいのなら助かる。
 けれどすぐにセドリックの説明とはどのようなものなのか心配になる。
 後でしっかり自分からも説明しようと覚悟を決めた。
 セドリックに付き従い、部屋から出る。
 連れて行かれたのは彼の執務室だった。
 道中、第二王子は何も話しかけてこなかったため無言で歩いたけれど、途中で出会う人からはやはり嫌な視線を向けられた。
 セドリックはそれを不機嫌そうにして見ていた。
 無言で奥の私室に案内された。
 ベッドが鎮座している部屋を見て、部屋は違っているけれどともに過ごした夜を思い出してしまう。
 魔力を乱されていなければ、一方的に口吻を受けるだなんてことにはならなかったはずだ。
 それでもセドリックに少しでも触れられてしまえば、どうしても魔力が乱れてしまう。
 今日は側にいるのに魔力が安定していることに、エリアスが気づくことはなかった。
 視線を向けようともしないエリアスは背後から近づく気配に気づいて、仕方なく振り向いた。
 存外近い距離に立つセドリックを見て、反射的に一歩下がってしまう。
「俺になんの用だ?」
 驚いたことを隠すように、深緑の瞳で睨み付けると、それまで表情が薄かったセドリックの顔に柔らかな笑みが浮かんだ。
「約束を覚えていたんだな」
 うれしそうに言われて、戸惑ってしまう。
 丁寧に接しないという約束を守るのは、騎士としてはどうかと思う。
 ただ約束は約束だ。一度したのだから反故にする気はない。
 どうしてそのことがそれほど嬉しいのか、エリアスにはよくわからなかった。
「約束したんだし、守るのは当たり前だろう」
「なかったことにされるかと思っていた」
 そういう考えも浮かびはしたけれど、何となくこの約束を破ろうとは思わなかった。
 うれしそうにしているセドリックを見ていると、どうやら自身の判断は正しかったようだ。
「もどかしいな。触れたいのに触れられないとは……」
 微笑みを浮かべているセドリックの声には、苦いものが含まれている。
「もしかして、気づいたのか?」
 驚愕の思いでセドリックを見る。その表情から心底残念だという感情が見て取れた。
「俺が触れたら魔力が乱れるんだろう?」
「何で、分かったんだ?」
「まあ、理由はあるが……今は言えないな」
 セドリックはもどかしそうに目を伏せている。
 顔を見ていれば話したくても話せない理由があるのだと分かる。
 それがなぜかすっきりとしない。
 靄がかかるように、自分でも感情が掴めない。
 釈然としないセドリックの態度に感じた自身の思いを、エリアスは意外な面持ちで見ていた。
 なぜそれほど知らない相手に対して、残念に思わなければならないのか。
 自身の想いに戸惑っていると、セドリックが驚いたような顔をしていた。
「そんなに理由が気になるのか?」
 妙に聡い男だと思いながら、自分の感情を俯瞰して見る。
「そういうわけじゃねぇけど……気分がすっきりしない」
 セドリックにはこの感情の意味が分かるのかと問うように視線を向ける。
 少し考えるようにして、王子が口を開く。
「もしかして、隠し事をされて嫌なのか?」
「は? なんでそんな子どもみたいなことを……」
 否定しようとして、すぐにそれがしっくりくることに気づく。
 子どものような自身の感情に羞恥が湧いてくる。
 じわりじわりと頬に赤みが差してきて、その場に蹲りたくなった。
「俺はただの駄々っ子か?」
 金髪を手で掻き回すようにしていると、セドリックはうれしそうに笑った。
「なんでそこで笑うんだよ?」
「いや、なんでもない。気にするな」
「子どもぽいって言いたいのかよ」
「そうじゃない」
 笑いを収めると、真剣なアイスブルーの瞳が弧を描いて見つめてきた。
「俺に興味があるとわかって、嬉しくなっただけだ」
 恥ずかしげもなく言われてしまい、居たたまれない。
 この場から走って逃げ出したくなる。
 赤らんだ顔から湯気が出そうだ。
 セドリックは話すことを拒否したのに、しつこく聞いた自分が悪いとも思う。
「……ああ、もう! この話は終わりだ。で、あんたの用件はなんだ? 雑談するだけか?」
「それもあるが、きちんと言っておこうと思ったんだ」
 途端にまっすぐに鋭く、強い視線で射貫かれてしまう。
 その視線で顔から熱は引いたのに、今度はぶわりと全身から汗が噴き出る。
 獲物を前にした猛獣のようなセドリックに、何を言われるのかと身体を硬くした。
 先程からずっと、自分の発言で墓穴を掘り続けている気がする。
 反射的に唾液を飲み込むと、その音がやけに大きく聞こえた。
「たいしたことじゃない。俺はおまえが気に入った。だから口説かせてもらう」
「……へ?」
 エリアスは麗しく整った美貌の顔を呆けさせて、形のいい唇から間抜けな声を漏らした。
「エリアスのような人間が側にいると楽しいだろうと思ったんだ。それだけ端正で人形のように整った顔をしているのに、まったく中身は細やかじゃない。素だと乱暴な話し方で、貴族らしいとは言えない。お前は見ていてまったく飽きない」
 言われている内容はまるで褒められているような気がしない。
 しかし本人は至って真面目な様子だ。
 貶しているわけでも、怒らせたいわけでもないようだ。
 エリアスの性格をよく理解しているし、真実でもある。
 ただなぜか落ち着かない。そわそわと身の置き所に困ってしまう。
 セドリックの視線が強すぎるからだろうか。
 エリアスは目を彷徨わせながら、王子に問う。
「えーと、そんな理由で俺を気に入ったのか?」
「エリアス。お前のような人間が側にいれば、俺も楽しい人生を送れる。そんな気がしたんだ」
「それ、どういう意味で口説くのか分からねぇんだけど……」
 気に入ったと言うけれど、どういう意味で言っているのか疑問に思う。
 はじめて直接会話をしたときからこれまでの流れを思い返す。
 この話を聞いた瞬間は恋愛の意味で気に入ったのかと思った。
 しかし今の言い方であれば、部下として側に置くという意味にも受け取れる。
「触れたいのに触れられないと言っただろう。ただの側近としてではない。お前のすべてがほしい。忠誠心や関心、感情、身体も、すべてだ。できれば何もかも全部がほしい」
「いや、全部は無理だろ」
 身体と言われて動揺したのを悟られないように、努めて冷静な顔を保つ。
 やはり恋愛の意味合いもあったのだ。
 しかし現実的に考えて、すべてをセドリックに捧げるのは難しい。
 近衛騎士ではあるけれど、エリアスはトリスタン専属の騎士である。
 そして一人の人間として、他のことに目を向けずに生きていくことは不可能だ。
「はっきりと言い切るところもいいな」
 セドリックはうれしそうに微笑んでいる。
「俺もすべては難しいと思っている。だがそれだけ真剣だと言っているんだ」
「たった一日、同じベッドで寝ただけじゃねぇか。なんでそんな重い感情を向けてくるんだよ」
 他の人間が聞いたら誤解しそうな内容を言った自覚はある。
 けれどセドリックはその意味を正しく受け取った。
「それは俺にも分からないが、どうしてもほしいと思ったんだ」
 楽しげな表情は、気に入った玩具をほしがっているようにも見える。
 けれどエリアスに向けられるアイスブルーの瞳は真剣で、燃えるように揺らめいている。
 どう見ても玩具に向けるような、単純な視線ではない。
「あれほど口吻をしたのに素直に後ろをついてくるから、お仕置きをしようかとも思ったが……」
「やめてくれ」
 即座に止めると、王子は苦笑する。
 仕置きをされていない現実に、ほっと安堵の息を吐く。
 エリアスが冷淡な視線を向けてぼやいても、セドリックが気にする様子はない。
「強引に触れてもよかったんだが、あれはだめだな。エリアスが色っぽすぎる」
 首を緩く振っているセドリックの瞳に烟るような色欲が見えて、咄嗟に顔を背ける。
 一瞬で全身から匂い立つような色気と、強い感情を向けられて戸惑う。
 恥ずかしげもなく正面から向けてくる熱を、素直に受け止めることができない。
「俺も警戒されたくないから、これ以上手を出すつもりはない。だがあの表情を他の人間には見せないよう気をつけてくれ」
 セドリックの願いを拒否することは簡単だった。
 それをするにはあまりにも危険で、妖しい瞳を向けられてしまい、渋々ではあるものの頷くしかなかった。
「これから先は遠慮しない。覚悟していろ」
 艶然と微笑む男に戦慄を覚えながら、エリアスは自分を守るように腕で身体を抱きしめるしかできなかった。