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第15話 クラレンスの呼び出し

ー/ー



 翌朝、早めの時間にサザランド家の執事が騎士寮へとやってきた。義父クラレンスの言伝を持ってきたのだ。
 急ぎの用件で、本日中に別邸の屋敷へくるようにという内容だった。
 夕方までには向かうと返事を頼むと、エリアスはトリスタンにすぐに報告した。

 上司は久々の親子水入らずを喜び、早めに帰ることができるよう時間を調整してくれた。
 王子の計らいに頭が下がる。
 その日は早く仕事を切り上げると、早速クラレンスがいる屋敷へと向かった。

 王都に建つサザランド伯爵の別邸は、領地の本家に比べると小さめである。
 養父の用件はロベルトのことだと予測している。
 話が長くなると予想していたため、外泊の許可は取っている。

 エリアスが王都に居を移したのは王立学園に入学してからだ。
 成人してからも何度か別邸にやってきたことがある。
 勝手知ったる屋敷の中ではあるものの、見慣れた老執事に歓迎されると、少しこそばゆい思いがした。

 成人してからはサザランド家から独立した形で近衛騎士になった。そのときに騎士爵を叙勲している。
 一代限りとはいえ、貴族の位がなくては王城の出入りなど気軽にできない。

 この老執事は古くから仕えていて、クラレンスがどこにいようと、秘書のように付き従っている。
 仕事の補助をしていることもあり、離れるわけにはいかないのだろう。

「ご無沙汰しております、エリアス様。ようこそおいでくださいました」

 老執事との会話は最低限ではあるものの、皺を刻んだ目尻を下げて言われるとエリアスの顔も綻ぶ。

「旦那様もロベルト様の件は聞いておられます。エリアス様が元気なご様子で、私も安堵致しました」

 やわらかな笑みを浮かべて、当主の部屋へと案内される。
 態度は柔和でもベテランの執事の動きには隙がない。
 細かなところまで知っている屋敷ではあるものの、素直にその背を追う。

 案内された執務室には、中央に位置しているソファで義父が座っていた。
 クラレンス・サザランド伯爵。
 薄茶色の長い髪を首の後ろで結び、淡い灰色の瞳を持っている。
 若い頃は騎士団に所属していたこともあり、身体はがっちりとしていて、年齢を重ねた今でも筋肉質である。

「早かったな」
「父さん、お久しぶりです」

 義父の背は平均的で特別高いわけでもないのに、立ち上がると大きな存在感がある。
 元騎士であり、未だに衰えることのない肉体から滲み出る空気は圧迫感がある。
 慣れない人間は並んで立つだけで気後れしてしまうだろう。

 エリアスも子どもの頃はこの空気に驚いたものだ。それでも、生来の負けん気の強さで怯えることはなかった。
 それどころか、初対面のクラレンスを喧嘩を売るような態度でいた。
 とにかく反抗心が強かったのはエリアスも覚えていて、手を焼いただろうと今では思う。

 勝ち気なところが却って痛々しく見えていたというのは、後で聞いた話だ。
 幼い頃の誘拐事件に巻き込まれて、大人を警戒していると思われていたようだ。

 今では仲のいい親子として関係を築けている。
 いろいろなことがあったけれど、それを気にするのも馬鹿馬鹿しく思えるくらいである。

 クラレンスがエリアスの側まで来ると軽く肩を叩いた。
 厳格さを装いながらも、父親の視線はやわらかなものだった。
 それに気づくと、帰ってきたのだとようやく肩から力が抜けた。

「久しぶりに会うが、だいぶしっかりとした体つきになったな」

 クラレンスは息子たちとよく似て華美なものを好まない。
 それでも身につけているものが貧相というわけではなく、シンプルでも洗練されたものであり、その慎ましさが却って大人の女性の関心を寄せる原因となっている。

 元騎士で若々しく、未亡人ということもあり、年配の女性にも人気である。
 だが再婚はせず、亡くなった妻を一途に想っている。

 そんな義父はやわらかな表情に変えて、少し皺が出てきた目尻を下げる。
 昔から子煩悩で有名だった。
 ただ、目に入れても痛くないくらい溺愛するという態度ではない。
 少し離れた位置から見守る姿勢と、やわらかな愛情を向ける灰色の瞳はとても心地がいい。

「もう見習いではないですし、気を抜くわけにもいきませんから」
「お前が真面目に仕事をしているというのはわかっているんだが、噂の方は本当に遠慮を知らないな」
「この顔ですし、していることもあまり素行のいいことではないので」
「それについては私も言いたいことがある。だが、トリスタン殿下はそれでいいと仰っているから、黙っているんだ」

 昔から真面目すぎるところがある義父は、エリアスの女遊びという情報収集に対して、いい顔をしたことはない。
 それでも止めないのは、第三王子の意向もるからだ。

「話は長くなる。座ろう」

 テーブルを挟んでソファに座ると、しばらく他愛ない話をする。
 しばらくするとやってきたメイドが紅茶と茶菓子を置いて部屋を出て行く。
 足音が遠ざかるのを確認すると、ややあとにクラレンスが口を開いた。

「ロベルト様が、こんなに早く公表するとは思わなかった」
「トリスタン殿下とも話をしましたが、噂で面倒なことが起こる前に、なんとかしたかったんでしょう?」
「そうだな。ただの噂なら私も公表には反対したんだが、王家との関係を疑われるとそうもいかない」
「王家の隠し子とかですよね」
「他にもトリスタン殿下が婚姻を望んでいるとか、そんなものまで流そうとしていたらしい」
「なんですか、それ……。婚姻って俺たち男同士ですが……」
「王位を望まない王族が同性同士で婚姻することはよくある。殿下も王位を望んでおられない。噂にも信憑性が出るだろう」

 疲れたような表情でクラレンスは言う。
 本人たちの意向など無視する内容に、エリアスは顔を顰める。

 噂とは当人たちが否定しようと広まり、制御しようにもなかなかできないものだ。
 だからこそ、上手く扱うことができれば武器にすることも可能である。

 ただエリアスは情報収集が得意でも、自分の好きなように広めるのは不得意だった。
 原因は仲のいい貴族の知り合いが、ほとんどいないからだ。
 トリスタンがエリアスの好きなようにさせていたこともあり、貴族間の社交には見向きもせず放置してしまった。

 王子であるトリスタンの側にいることもあり、ある程度顔を知っている貴族もいる。
 けれど自分自身に近づく貴族に対してはいい印象もなく、毛嫌いしていた。

 近衛騎士の同僚からも妬まれることが多く、エリアスを理解し、協力してくれるような人物は上流階級にはほとんどいない。
 人間関係の希薄さを思うと、なんだか情けないとも思う。

 交流を疎かにしていたのは出自のこともある。
 そして安定しない魔力も原因のひとつだった。

 暴走まではいかないまでも、近い状態になることも多かったのだ。
 幼い頃は危なくて同い年の子どもの側にいられなかった。
 人間関係の構築を学ぶ機会があまりないまま大人になってしまい、苦手となってしまった。

「陛下も強引に公表することは反対されていたのだが、あの方の言葉でもロベルト様を止めるのは難しい」
「国王陛下からも一目置かれる存在になるのって面倒ですね」
「仕方あるまい」

 エリアスは遠くを見るような目をする。義父も渋い表情をしていた。
 話題はこれだけだと思っていたけれど、思い出したようにクラレンスが話を付け加えた。

「セドリック殿下の噂も聞いたのだが、あれはどうなんだ?」

 なんとなく目が合わせられなくなり、エリアスは窓の外を見ながらぼんやりと呟いた。

「どういう内容ですか? まだ俺は聞いていませんね」
「最近トリスタン殿下とよく話されていることや、ある騎士にご執心だという話もあるぞ」

 既に事実を知っていることを突きつけるように、クラレンスはじっと見据えてくる。

「セドリック殿下はどこがよかったのか知りませんが、俺を気に入ったそうですよ」

 いろいろと思うところはあるけれど、セドリックの執着は本物のようだった。
 どうやって王子に捕まらないよう逃げるか、難しいところだ。
 それでも、ひとつだけ確かなことがある。

「俺はトリスタン殿下の専属護衛ですし、セドリック殿下にほしいといわれても無理ですけどね」
「なるほど、セドリック殿下は騎士として側に置きたいのか」

 実際はすべてがほしいと言われたけれど。
 目が泳いでいるのをクラレンスに悟られていないことを願う。

 第二王子の欲しいものの中には恋愛感情も含まれていることを、わざわざ言う必要はないだろう。
 義父が相手とはいえ、そこまで赤裸々に話すのは気が引けた。

「トリスタン殿下が許可するとも思えませんけどね」

 命令でトリスタンの専属護衛になったとはいえ、一年間側で守ってきたのだ。友人でもあるし、騎士としての矜持もある。

「それに、転属できるなら専属護衛の意味ってあります?」

 専属護衛とは配属された後に主を変えることは許されていない。
 もしそんなことをしようものなら、騎士として終わったも同然である。

「それはそうだが。……そこはエリアスのことだからどうとでもなる」

 煮え切らない態度で言葉を濁すクラレンスを見て、引っかかりを覚える。

「父さんがはっきり言わないのも珍しいですね」
「……専属護衛ならば別の王子の元に転属するのは不可能だが、エリアスなら可能だ」

 言葉にするのを迷っているのか、釈然としない言い方だった。

「……どういうことですか?」

 一瞬何を言われているのか分からなくて、深緑の瞳を見開いてクラレンスを見る。

「お前はトリスタン殿下に専属護衛騎士として選ばれたと思っているようだが、実際は違うんだ」
「詳しく教えてください」

 居住まいを正して話を聞く姿勢になる。
 専属の護衛騎士というのは特別なもので、主一人につき騎士は数人しか選ばれない。
 常に側にいて、片時も離れないもので、寝食も近くでするものである。

 だからこそ専属といわれる。

「つまり、つきっきりではないおまえは、ただの近衛騎士の一人ということだ」

 クラレンスの説明を聞いて思い返してみると、エリアスはトリスタンから片時も離れず側にいるわけではない。
 騎士の寮で寝泊まりしているし、交代制で護衛をしているから自由な時間もある。
 専属護衛は交代制ではあるものの、自由な時間は少なく、王子の部屋に続く隣室で寝泊まりをしている。

「冷静に思い返すと、俺は専属というほど側にいませんね」
「ようやく気づいたか。王子に任命されたからとはいえ、本人が望んで契約しなければ専属にはなれんのだ」
「契約、ですか?」
「ああ、王家のみが仕える特別な魔術だ」

 そんなものがあったとは初耳だった。

「神竜の末裔にしか使えない契約魔術だ。私もロベルト様を専属に誘いたいと陛下から相談されて、初めて聞いた」

 人の行動や、精神を縛ることができる魔術は、一般的に知られていない。話を聞くだけで本当に特別なものなのだとわかる。

「エリアスがどこで勘違いしたのかは分からないが、おそらくトリスタン殿下が上手くそう思い込むように、話を誘導したんだろうな」

 貴族を掌で転がすあの王子なら、単純なエリアスを誘導するのも簡単だろう。

「トリスタン殿下は口が上手いし、人の思考をよく理解されている。出来過ぎな話ではあるが、あの方ならそう思わせるのも可能だろう」
「それなら、俺はただの近衛騎士で、セドリック殿下の専属護衛になることも可能なんですね……」

 反射的に全身から血の気が引く。なんとなく背筋が寒い。
 トリスタンの手腕に驚いたとはいえ、そのことに寒気がしたわけではない。

 気がかりなのはセドリックのことだ。
 第二王子はエリアスが騙されていることに気づいているはずだ。
 エリアスが早々に真実を知ったからいいものの、もし気づかないままだったら先はどうなっていただろうか。

 知らないままでいたら、絶対に逃げられなかったはずだ。
 契約がないのだから、王子の権限で護衛の担当を変えることもできるはずだ。

 それをしなかったのは、強引に動けばエリアスに気づかれると恐れたからかもしれない。
 もしかしたら、知らず知らずのうちにトリスタンと仲違いをさせられた可能性もある。

 あの王子ならエリアスに気づかれないように、徐々に逃げ道を塞いでいくこともできるだろう。
 この短期間で彼の強い執着と、想いを目の当たりにした。
 それでも、エリアスにはまだ実感がなかったのだ。

 セドリックは神竜の末裔であり、竜騎士でもある。そんな強者相手にエリアスが逃れるのは難しい。
 けれどそのことを恐れるどころか、エリアスの心の奥底では喜びが芽生えていた。

 そっと自身の口元に震える手を持って行く。口元に浮かぶ笑みを隠すためだった。
 なんとも言えない感情が胸中を渦巻く。

 エリアスの中で浮かんだのは、想像上の未来である。
 セドリックに対して彼と同じような強い感情は持っていない。

 それでも嫌な気はしなかった。
 第二王子の思惑通りに踊らされているような気がして面白くはないのに、なぜ喜んでいるのか。

 クラレンスはそんなエリアスには気づかないまま、疲れた表情で口を開く。

「公表されたことで、これから先、何が起こるか分からない。できるだけ冷静に動いてくれ。慎重に、平静でいてくれ。頼むから」

 さすが育ての親である。エリアスが直情的で短気だという本質を、よく理解している。
 難しいかもしれないと思いながらも、これ以上義父の気苦労は増やさないように気をつけようと素直に頷く。

 おそらく、約束しても守ることはできないだろう。
 それでも心配をかけたいわけではない。できるだけ、希望に添えるよう努力はしよう。
 その後は最近の出来事など他愛のない話をして、会話を切り上げた。

「今夜は泊まっていくといい。食事も用意できている」
「ありがとうございます」
「家を出たとはいえ、息子だからな」

 クラレンスの柔らかい言葉が擽ったいながらも、エリアスの美貌には満面の笑みが浮かんだ。
 その夜はふたりで食事をして、遅くまで酒を飲み交わした。


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 翌朝、早めの時間にサザランド家の執事が騎士寮へとやってきた。義父クラレンスの言伝を持ってきたのだ。
 急ぎの用件で、本日中に別邸の屋敷へくるようにという内容だった。
 夕方までには向かうと返事を頼むと、エリアスはトリスタンにすぐに報告した。
 上司は久々の親子水入らずを喜び、早めに帰ることができるよう時間を調整してくれた。
 王子の計らいに頭が下がる。
 その日は早く仕事を切り上げると、早速クラレンスがいる屋敷へと向かった。
 王都に建つサザランド伯爵の別邸は、領地の本家に比べると小さめである。
 養父の用件はロベルトのことだと予測している。
 話が長くなると予想していたため、外泊の許可は取っている。
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 勝手知ったる屋敷の中ではあるものの、見慣れた老執事に歓迎されると、少しこそばゆい思いがした。
 成人してからはサザランド家から独立した形で近衛騎士になった。そのときに騎士爵を叙勲している。
 一代限りとはいえ、貴族の位がなくては王城の出入りなど気軽にできない。
 この老執事は古くから仕えていて、クラレンスがどこにいようと、秘書のように付き従っている。
 仕事の補助をしていることもあり、離れるわけにはいかないのだろう。
「ご無沙汰しております、エリアス様。ようこそおいでくださいました」
 老執事との会話は最低限ではあるものの、皺を刻んだ目尻を下げて言われるとエリアスの顔も綻ぶ。
「旦那様もロベルト様の件は聞いておられます。エリアス様が元気なご様子で、私も安堵致しました」
 やわらかな笑みを浮かべて、当主の部屋へと案内される。
 態度は柔和でもベテランの執事の動きには隙がない。
 細かなところまで知っている屋敷ではあるものの、素直にその背を追う。
 案内された執務室には、中央に位置しているソファで義父が座っていた。
 クラレンス・サザランド伯爵。
 薄茶色の長い髪を首の後ろで結び、淡い灰色の瞳を持っている。
 若い頃は騎士団に所属していたこともあり、身体はがっちりとしていて、年齢を重ねた今でも筋肉質である。
「早かったな」
「父さん、お久しぶりです」
 義父の背は平均的で特別高いわけでもないのに、立ち上がると大きな存在感がある。
 元騎士であり、未だに衰えることのない肉体から滲み出る空気は圧迫感がある。
 慣れない人間は並んで立つだけで気後れしてしまうだろう。
 エリアスも子どもの頃はこの空気に驚いたものだ。それでも、生来の負けん気の強さで怯えることはなかった。
 それどころか、初対面のクラレンスを喧嘩を売るような態度でいた。
 とにかく反抗心が強かったのはエリアスも覚えていて、手を焼いただろうと今では思う。
 勝ち気なところが却って痛々しく見えていたというのは、後で聞いた話だ。
 幼い頃の誘拐事件に巻き込まれて、大人を警戒していると思われていたようだ。
 今では仲のいい親子として関係を築けている。
 いろいろなことがあったけれど、それを気にするのも馬鹿馬鹿しく思えるくらいである。
 クラレンスがエリアスの側まで来ると軽く肩を叩いた。
 厳格さを装いながらも、父親の視線はやわらかなものだった。
 それに気づくと、帰ってきたのだとようやく肩から力が抜けた。
「久しぶりに会うが、だいぶしっかりとした体つきになったな」
 クラレンスは息子たちとよく似て華美なものを好まない。
 それでも身につけているものが貧相というわけではなく、シンプルでも洗練されたものであり、その慎ましさが却って大人の女性の関心を寄せる原因となっている。
 元騎士で若々しく、未亡人ということもあり、年配の女性にも人気である。
 だが再婚はせず、亡くなった妻を一途に想っている。
 そんな義父はやわらかな表情に変えて、少し皺が出てきた目尻を下げる。
 昔から子煩悩で有名だった。
 ただ、目に入れても痛くないくらい溺愛するという態度ではない。
 少し離れた位置から見守る姿勢と、やわらかな愛情を向ける灰色の瞳はとても心地がいい。
「もう見習いではないですし、気を抜くわけにもいきませんから」
「お前が真面目に仕事をしているというのはわかっているんだが、噂の方は本当に遠慮を知らないな」
「この顔ですし、していることもあまり素行のいいことではないので」
「それについては私も言いたいことがある。だが、トリスタン殿下はそれでいいと仰っているから、黙っているんだ」
 昔から真面目すぎるところがある義父は、エリアスの女遊びという情報収集に対して、いい顔をしたことはない。
 それでも止めないのは、第三王子の意向もるからだ。
「話は長くなる。座ろう」
 テーブルを挟んでソファに座ると、しばらく他愛ない話をする。
 しばらくするとやってきたメイドが紅茶と茶菓子を置いて部屋を出て行く。
 足音が遠ざかるのを確認すると、ややあとにクラレンスが口を開いた。
「ロベルト様が、こんなに早く公表するとは思わなかった」
「トリスタン殿下とも話をしましたが、噂で面倒なことが起こる前に、なんとかしたかったんでしょう?」
「そうだな。ただの噂なら私も公表には反対したんだが、王家との関係を疑われるとそうもいかない」
「王家の隠し子とかですよね」
「他にもトリスタン殿下が婚姻を望んでいるとか、そんなものまで流そうとしていたらしい」
「なんですか、それ……。婚姻って俺たち男同士ですが……」
「王位を望まない王族が同性同士で婚姻することはよくある。殿下も王位を望んでおられない。噂にも信憑性が出るだろう」
 疲れたような表情でクラレンスは言う。
 本人たちの意向など無視する内容に、エリアスは顔を顰める。
 噂とは当人たちが否定しようと広まり、制御しようにもなかなかできないものだ。
 だからこそ、上手く扱うことができれば武器にすることも可能である。
 ただエリアスは情報収集が得意でも、自分の好きなように広めるのは不得意だった。
 原因は仲のいい貴族の知り合いが、ほとんどいないからだ。
 トリスタンがエリアスの好きなようにさせていたこともあり、貴族間の社交には見向きもせず放置してしまった。
 王子であるトリスタンの側にいることもあり、ある程度顔を知っている貴族もいる。
 けれど自分自身に近づく貴族に対してはいい印象もなく、毛嫌いしていた。
 近衛騎士の同僚からも妬まれることが多く、エリアスを理解し、協力してくれるような人物は上流階級にはほとんどいない。
 人間関係の希薄さを思うと、なんだか情けないとも思う。
 交流を疎かにしていたのは出自のこともある。
 そして安定しない魔力も原因のひとつだった。
 暴走まではいかないまでも、近い状態になることも多かったのだ。
 幼い頃は危なくて同い年の子どもの側にいられなかった。
 人間関係の構築を学ぶ機会があまりないまま大人になってしまい、苦手となってしまった。
「陛下も強引に公表することは反対されていたのだが、あの方の言葉でもロベルト様を止めるのは難しい」
「国王陛下からも一目置かれる存在になるのって面倒ですね」
「仕方あるまい」
 エリアスは遠くを見るような目をする。義父も渋い表情をしていた。
 話題はこれだけだと思っていたけれど、思い出したようにクラレンスが話を付け加えた。
「セドリック殿下の噂も聞いたのだが、あれはどうなんだ?」
 なんとなく目が合わせられなくなり、エリアスは窓の外を見ながらぼんやりと呟いた。
「どういう内容ですか? まだ俺は聞いていませんね」
「最近トリスタン殿下とよく話されていることや、ある騎士にご執心だという話もあるぞ」
 既に事実を知っていることを突きつけるように、クラレンスはじっと見据えてくる。
「セドリック殿下はどこがよかったのか知りませんが、俺を気に入ったそうですよ」
 いろいろと思うところはあるけれど、セドリックの執着は本物のようだった。
 どうやって王子に捕まらないよう逃げるか、難しいところだ。
 それでも、ひとつだけ確かなことがある。
「俺はトリスタン殿下の専属護衛ですし、セドリック殿下にほしいといわれても無理ですけどね」
「なるほど、セドリック殿下は騎士として側に置きたいのか」
 実際はすべてがほしいと言われたけれど。
 目が泳いでいるのをクラレンスに悟られていないことを願う。
 第二王子の欲しいものの中には恋愛感情も含まれていることを、わざわざ言う必要はないだろう。
 義父が相手とはいえ、そこまで赤裸々に話すのは気が引けた。
「トリスタン殿下が許可するとも思えませんけどね」
 命令でトリスタンの専属護衛になったとはいえ、一年間側で守ってきたのだ。友人でもあるし、騎士としての矜持もある。
「それに、転属できるなら専属護衛の意味ってあります?」
 専属護衛とは配属された後に主を変えることは許されていない。
 もしそんなことをしようものなら、騎士として終わったも同然である。
「それはそうだが。……そこはエリアスのことだからどうとでもなる」
 煮え切らない態度で言葉を濁すクラレンスを見て、引っかかりを覚える。
「父さんがはっきり言わないのも珍しいですね」
「……専属護衛ならば別の王子の元に転属するのは不可能だが、エリアスなら可能だ」
 言葉にするのを迷っているのか、釈然としない言い方だった。
「……どういうことですか?」
 一瞬何を言われているのか分からなくて、深緑の瞳を見開いてクラレンスを見る。
「お前はトリスタン殿下に専属護衛騎士として選ばれたと思っているようだが、実際は違うんだ」
「詳しく教えてください」
 居住まいを正して話を聞く姿勢になる。
 専属の護衛騎士というのは特別なもので、主一人につき騎士は数人しか選ばれない。
 常に側にいて、片時も離れないもので、寝食も近くでするものである。
 だからこそ専属といわれる。
「つまり、つきっきりではないおまえは、ただの近衛騎士の一人ということだ」
 クラレンスの説明を聞いて思い返してみると、エリアスはトリスタンから片時も離れず側にいるわけではない。
 騎士の寮で寝泊まりしているし、交代制で護衛をしているから自由な時間もある。
 専属護衛は交代制ではあるものの、自由な時間は少なく、王子の部屋に続く隣室で寝泊まりをしている。
「冷静に思い返すと、俺は専属というほど側にいませんね」
「ようやく気づいたか。王子に任命されたからとはいえ、本人が望んで契約しなければ専属にはなれんのだ」
「契約、ですか?」
「ああ、王家のみが仕える特別な魔術だ」
 そんなものがあったとは初耳だった。
「神竜の末裔にしか使えない契約魔術だ。私もロベルト様を専属に誘いたいと陛下から相談されて、初めて聞いた」
 人の行動や、精神を縛ることができる魔術は、一般的に知られていない。話を聞くだけで本当に特別なものなのだとわかる。
「エリアスがどこで勘違いしたのかは分からないが、おそらくトリスタン殿下が上手くそう思い込むように、話を誘導したんだろうな」
 貴族を掌で転がすあの王子なら、単純なエリアスを誘導するのも簡単だろう。
「トリスタン殿下は口が上手いし、人の思考をよく理解されている。出来過ぎな話ではあるが、あの方ならそう思わせるのも可能だろう」
「それなら、俺はただの近衛騎士で、セドリック殿下の専属護衛になることも可能なんですね……」
 反射的に全身から血の気が引く。なんとなく背筋が寒い。
 トリスタンの手腕に驚いたとはいえ、そのことに寒気がしたわけではない。
 気がかりなのはセドリックのことだ。
 第二王子はエリアスが騙されていることに気づいているはずだ。
 エリアスが早々に真実を知ったからいいものの、もし気づかないままだったら先はどうなっていただろうか。
 知らないままでいたら、絶対に逃げられなかったはずだ。
 契約がないのだから、王子の権限で護衛の担当を変えることもできるはずだ。
 それをしなかったのは、強引に動けばエリアスに気づかれると恐れたからかもしれない。
 もしかしたら、知らず知らずのうちにトリスタンと仲違いをさせられた可能性もある。
 あの王子ならエリアスに気づかれないように、徐々に逃げ道を塞いでいくこともできるだろう。
 この短期間で彼の強い執着と、想いを目の当たりにした。
 それでも、エリアスにはまだ実感がなかったのだ。
 セドリックは神竜の末裔であり、竜騎士でもある。そんな強者相手にエリアスが逃れるのは難しい。
 けれどそのことを恐れるどころか、エリアスの心の奥底では喜びが芽生えていた。
 そっと自身の口元に震える手を持って行く。口元に浮かぶ笑みを隠すためだった。
 なんとも言えない感情が胸中を渦巻く。
 エリアスの中で浮かんだのは、想像上の未来である。
 セドリックに対して彼と同じような強い感情は持っていない。
 それでも嫌な気はしなかった。
 第二王子の思惑通りに踊らされているような気がして面白くはないのに、なぜ喜んでいるのか。
 クラレンスはそんなエリアスには気づかないまま、疲れた表情で口を開く。
「公表されたことで、これから先、何が起こるか分からない。できるだけ冷静に動いてくれ。慎重に、平静でいてくれ。頼むから」
 さすが育ての親である。エリアスが直情的で短気だという本質を、よく理解している。
 難しいかもしれないと思いながらも、これ以上義父の気苦労は増やさないように気をつけようと素直に頷く。
 おそらく、約束しても守ることはできないだろう。
 それでも心配をかけたいわけではない。できるだけ、希望に添えるよう努力はしよう。
 その後は最近の出来事など他愛のない話をして、会話を切り上げた。
「今夜は泊まっていくといい。食事も用意できている」
「ありがとうございます」
「家を出たとはいえ、息子だからな」
 クラレンスの柔らかい言葉が擽ったいながらも、エリアスの美貌には満面の笑みが浮かんだ。
 その夜はふたりで食事をして、遅くまで酒を飲み交わした。