二話 おお! 本格ツーリングっぽい。
ー/ー 納車日から数えて四日目の月曜日は朝からよく晴れていた。開け放した網戸張りの窓から差し込む陽の光がとにかく眩しい。今日は絶対暑くなる。寝起きばなで朦朧としながらも逸郎はそう思った。避暑ツーリングには絶好かも。
逸郎は跳ね起きた。煎餅布団の周りには、昨日の夜着ていたYシャツとスラックスが抜け殻のように散らばっていた。蝶ネクタイは座椅子の背に引っかかっている。スラックスの尻ポケットにスマートフォンを見つけ、表示をオンにした。
08:32
「ヤヴァイ!」
逸郎は声を出して叫んだ。
待ち合わせは九時に長田町福山パンのイートイン。シャワーを浴びてる時間はない。ディスプレイには着信履歴二回と未読メッセージ十本の表示。開かなくてもわかってる。すみれからの起きろコールだ。とりあえず既読にだけして、逸郎は大急ぎで準備をはじめた。
入り口で並んでいる数組の横を抜けてイートインコーナーに走り込んだのは九時五分。すみれは奥の席で、ハンバーグサンドのコッペパンを頬張っていた。今日のスタイルは、あの革ツナギ。すみれの奴、本気だ。いつものブルゾンとデニムという自分の気合の足らなさが申し訳ないくらい。でも今日の下界は絶対暑いぞ。高原に行けば大丈夫なのかな。
「遅っそーい! あとヘルメット脱ぎなさい。めちゃくちゃ怪しいよ」
台詞に合わない笑顔で、すみれは向かいの席を指差している。ヘルメットを外した逸郎がそっと周りを見ると、たしかに引いた感じの視線がそこここにあった。すみれの席の横にはノースフェイスの真っ赤なリュック、テーブルの上にはコッペパン三つとコーヒーがふたつ。ヘルメットはバイクに掛けてきたようだ。
「ゆうべも遅かったんでしょ。お疲れさま。とにかくまずは食べてから」
遅れてごめん、と言いながら背負っていた5.11タクティカルの軍用レプリカバックパックとヘルメットを床に置いて席に着いた逸郎は、迷わずキーマカレーと書かれたコッペパンを掴んだ。予想が的中して満悦顔のすみれの、胸の谷間のすぐ上まで下ろしたファスナー。覗いてる素肌がまぶしい。
納車からの三日間、ふたりは街中の祭りをパスして、昼間に近場を走り回った。四十四田ダム、御所湖、小岩井農場。教習所に近いあのダイナーズカフェにも行ってきた。店主はふたりのことを憶えていて、バイクで来れたことをとても喜んでくれた。
この促成の路上実地練習のおかげで、ふたりとも随分とバイクに慣れてきた。少なくとも発進のアクセルワークでふらつくことは、もう無い。
逸郎はバイト先にもバイクで通った。今までは辛かった深夜の帰宅路もバイクを使えばひとっ跳びだった。翌日に残る疲れの度合いもこれまでとはぜんぜん違う。そして誰よりもマスターの奥さんが喜んだ。自分もリターンライダーになっちゃおうかしら、とまで言いだしマスターの渋面を誘ってさえいた。
逸郎がつくづく思ったのは、この街がとても走りやすいということ。すみれや自分の地元とは交通事情がまるで違う。十五分も走れば、東西南北どの方向でも信号のほとんどない郊外に出られる。バイク乗りにとっては素晴らしい環境だ。
「今日はどっちに行くの?」
すみれの問いかけに応え、逸郎はバックパックから道路地図を取り出す。地図アプリでもいいのだが、コースの全体像をふたりで見るのなら、やはり紙の方が断然見やすい。そう思い、手にいれたアイテムだ。
パンを横によけ、付箋を貼っているページを開いて見せた。
「前にもちょっと言ってたコース。最初に北に向かって、この焼走りに寄って……」
「焼走りってなに?」
気になったことは話の途中でもすぐに聞いてくる好奇心の旺盛さは、本来のすみれだ。
距離が近くなった気安さかな。
逸郎はそんなすみれを可愛いと思う。
「俺も行ったことないけど、お山の溶岩流なんだって。行った人の話によると、この世の風景じゃないらしいよ」
どんなんだろう、この世の風景じゃないって、と言いながら、先を促してくるすみれ。現金なものである。
「そのあとにパノラマライン、樹海ラインを経て、八幡平アスピーテライン。ここを抜けて、十和田湖まで行く」
逸郎は地図を指で北に辿っていき、最後に十和田湖を指す。すみれの顔が輝いた。
「おお! 本格ツーリングっぽい」
「本格ツーリングだよ」
逸郎が返す。
「十和田湖までどのくらい?」
「距離にして百キロくらい。このあとすぐ出れば、三時前には着けるんじゃないかな」
昨日までの四日間しっかりバイトをこなしたので、今日からは休みだ。仮に今夜遅くに帰って来たとしても、ゆっくり休める時間は充分確保できる。そう逸郎は計算していた。
「イツロー、バイトは?」
「今週はもうない。金曜からは実家に顔出してこようかな、と」
ふーん。一抹の寂しさを隠すようにコッペパンをひと齧りするすみれ。
「すみれは?」
「木曜に会議があるけど、それまでは予定なーし」
「じゃ、あと三日は毎日走れるな」
パンを咥えたすみれはそれには応えず、ジェスチャーだけで早く食べてしまうよう逸郎を促した。
逸郎は跳ね起きた。煎餅布団の周りには、昨日の夜着ていたYシャツとスラックスが抜け殻のように散らばっていた。蝶ネクタイは座椅子の背に引っかかっている。スラックスの尻ポケットにスマートフォンを見つけ、表示をオンにした。
08:32
「ヤヴァイ!」
逸郎は声を出して叫んだ。
待ち合わせは九時に長田町福山パンのイートイン。シャワーを浴びてる時間はない。ディスプレイには着信履歴二回と未読メッセージ十本の表示。開かなくてもわかってる。すみれからの起きろコールだ。とりあえず既読にだけして、逸郎は大急ぎで準備をはじめた。
入り口で並んでいる数組の横を抜けてイートインコーナーに走り込んだのは九時五分。すみれは奥の席で、ハンバーグサンドのコッペパンを頬張っていた。今日のスタイルは、あの革ツナギ。すみれの奴、本気だ。いつものブルゾンとデニムという自分の気合の足らなさが申し訳ないくらい。でも今日の下界は絶対暑いぞ。高原に行けば大丈夫なのかな。
「遅っそーい! あとヘルメット脱ぎなさい。めちゃくちゃ怪しいよ」
台詞に合わない笑顔で、すみれは向かいの席を指差している。ヘルメットを外した逸郎がそっと周りを見ると、たしかに引いた感じの視線がそこここにあった。すみれの席の横にはノースフェイスの真っ赤なリュック、テーブルの上にはコッペパン三つとコーヒーがふたつ。ヘルメットはバイクに掛けてきたようだ。
「ゆうべも遅かったんでしょ。お疲れさま。とにかくまずは食べてから」
遅れてごめん、と言いながら背負っていた5.11タクティカルの軍用レプリカバックパックとヘルメットを床に置いて席に着いた逸郎は、迷わずキーマカレーと書かれたコッペパンを掴んだ。予想が的中して満悦顔のすみれの、胸の谷間のすぐ上まで下ろしたファスナー。覗いてる素肌がまぶしい。
納車からの三日間、ふたりは街中の祭りをパスして、昼間に近場を走り回った。四十四田ダム、御所湖、小岩井農場。教習所に近いあのダイナーズカフェにも行ってきた。店主はふたりのことを憶えていて、バイクで来れたことをとても喜んでくれた。
この促成の路上実地練習のおかげで、ふたりとも随分とバイクに慣れてきた。少なくとも発進のアクセルワークでふらつくことは、もう無い。
逸郎はバイト先にもバイクで通った。今までは辛かった深夜の帰宅路もバイクを使えばひとっ跳びだった。翌日に残る疲れの度合いもこれまでとはぜんぜん違う。そして誰よりもマスターの奥さんが喜んだ。自分もリターンライダーになっちゃおうかしら、とまで言いだしマスターの渋面を誘ってさえいた。
逸郎がつくづく思ったのは、この街がとても走りやすいということ。すみれや自分の地元とは交通事情がまるで違う。十五分も走れば、東西南北どの方向でも信号のほとんどない郊外に出られる。バイク乗りにとっては素晴らしい環境だ。
「今日はどっちに行くの?」
すみれの問いかけに応え、逸郎はバックパックから道路地図を取り出す。地図アプリでもいいのだが、コースの全体像をふたりで見るのなら、やはり紙の方が断然見やすい。そう思い、手にいれたアイテムだ。
パンを横によけ、付箋を貼っているページを開いて見せた。
「前にもちょっと言ってたコース。最初に北に向かって、この焼走りに寄って……」
「焼走りってなに?」
気になったことは話の途中でもすぐに聞いてくる好奇心の旺盛さは、本来のすみれだ。
距離が近くなった気安さかな。
逸郎はそんなすみれを可愛いと思う。
「俺も行ったことないけど、お山の溶岩流なんだって。行った人の話によると、この世の風景じゃないらしいよ」
どんなんだろう、この世の風景じゃないって、と言いながら、先を促してくるすみれ。現金なものである。
「そのあとにパノラマライン、樹海ラインを経て、八幡平アスピーテライン。ここを抜けて、十和田湖まで行く」
逸郎は地図を指で北に辿っていき、最後に十和田湖を指す。すみれの顔が輝いた。
「おお! 本格ツーリングっぽい」
「本格ツーリングだよ」
逸郎が返す。
「十和田湖までどのくらい?」
「距離にして百キロくらい。このあとすぐ出れば、三時前には着けるんじゃないかな」
昨日までの四日間しっかりバイトをこなしたので、今日からは休みだ。仮に今夜遅くに帰って来たとしても、ゆっくり休める時間は充分確保できる。そう逸郎は計算していた。
「イツロー、バイトは?」
「今週はもうない。金曜からは実家に顔出してこようかな、と」
ふーん。一抹の寂しさを隠すようにコッペパンをひと齧りするすみれ。
「すみれは?」
「木曜に会議があるけど、それまでは予定なーし」
「じゃ、あと三日は毎日走れるな」
パンを咥えたすみれはそれには応えず、ジェスチャーだけで早く食べてしまうよう逸郎を促した。
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逸郎は跳ね起きた。煎餅布団の周りには、昨日の夜着ていたYシャツとスラックスが抜け殻のように散らばっていた。蝶ネクタイは座椅子の背に引っかかっている。スラックスの尻ポケットにスマートフォンを見つけ、表示をオンにした。
逸郎は跳ね起きた。煎餅布団の周りには、昨日の夜着ていたYシャツとスラックスが抜け殻のように散らばっていた。蝶ネクタイは座椅子の背に引っかかっている。スラックスの尻ポケットにスマートフォンを見つけ、表示をオンにした。
08:32
「ヤヴァイ!」
逸郎は声を出して叫んだ。
待ち合わせは九時に長田町福山パンのイートイン。シャワーを浴びてる時間はない。ディスプレイには着信履歴二回と未読メッセージ十本の表示。開かなくてもわかってる。すみれからの起きろコールだ。とりあえず既読にだけして、逸郎は大急ぎで準備をはじめた。
待ち合わせは九時に長田町福山パンのイートイン。シャワーを浴びてる時間はない。ディスプレイには着信履歴二回と未読メッセージ十本の表示。開かなくてもわかってる。すみれからの起きろコールだ。とりあえず既読にだけして、逸郎は大急ぎで準備をはじめた。
入り口で並んでいる数組の横を抜けてイートインコーナーに走り込んだのは九時五分。すみれは奥の席で、ハンバーグサンドのコッペパンを頬張っていた。今日のスタイルは、あの革ツナギ。すみれの奴、本気だ。いつものブルゾンとデニムという自分の気合の足らなさが申し訳ないくらい。でも今日の下界は絶対暑いぞ。高原に行けば大丈夫なのかな。
「遅っそーい! あとヘルメット脱ぎなさい。めちゃくちゃ怪しいよ」
台詞に合わない笑顔で、すみれは向かいの席を指差している。ヘルメットを外した逸郎がそっと周りを見ると、たしかに引いた感じの視線がそこここにあった。すみれの席の横にはノースフェイスの真っ赤なリュック、テーブルの上にはコッペパン三つとコーヒーがふたつ。ヘルメットはバイクに掛けてきたようだ。
「ゆうべも遅かったんでしょ。お疲れさま。とにかくまずは食べてから」
遅れてごめん、と言いながら背負っていた5.11タクティカルの軍用レプリカバックパックとヘルメットを床に置いて席に着いた逸郎は、迷わずキーマカレーと書かれたコッペパンを掴んだ。予想が的中して満悦顔のすみれの、胸の谷間のすぐ上まで下ろしたファスナー。覗いてる素肌がまぶしい。
納車からの三日間、ふたりは街中《まちなか》の祭りをパスして、昼間に近場を走り回った。四十四田ダム、御所湖、小岩井農場。教習所に近いあのダイナーズカフェにも行ってきた。店主はふたりのことを憶えていて、バイクで来れたことをとても喜んでくれた。
この促成の路上実地練習のおかげで、ふたりとも随分とバイクに慣れてきた。少なくとも発進のアクセルワークでふらつくことは、もう無い。
この促成の路上実地練習のおかげで、ふたりとも随分とバイクに慣れてきた。少なくとも発進のアクセルワークでふらつくことは、もう無い。
逸郎はバイト先にもバイクで通った。今までは辛かった深夜の帰宅路もバイクを使えばひとっ跳びだった。翌日に残る疲れの度合いもこれまでとはぜんぜん違う。そして誰よりもマスターの奥さんが喜んだ。自分もリターンライダーになっちゃおうかしら、とまで言いだしマスターの渋面を誘ってさえいた。
逸郎がつくづく思ったのは、この街がとても走りやすいということ。すみれや自分の地元とは交通事情がまるで違う。十五分も走れば、東西南北どの方向でも信号のほとんどない郊外に出られる。バイク乗りにとっては素晴らしい環境だ。
「今日はどっちに行くの?」
すみれの問いかけに応え、逸郎はバックパックから道路地図を取り出す。地図アプリでもいいのだが、コースの全体像をふたりで見るのなら、やはり紙の方が断然見やすい。そう思い、手にいれたアイテムだ。
パンを横によけ、付箋を貼っているページを開いて見せた。
パンを横によけ、付箋を貼っているページを開いて見せた。
「前にもちょっと言ってたコース。最初に北に向かって、この焼走りに寄って……」
「焼走りってなに?」
気になったことは話の途中でもすぐに聞いてくる好奇心の旺盛さは、本来のすみれだ。
距離が近くなった気安さかな。
逸郎はそんなすみれを可愛いと思う。
距離が近くなった気安さかな。
逸郎はそんなすみれを可愛いと思う。
「俺も行ったことないけど、お山の溶岩流なんだって。行った人の話によると、この世の風景じゃないらしいよ」
どんなんだろう、この世の風景じゃないって、と言いながら、先を促してくるすみれ。現金なものである。
「そのあとにパノラマライン、樹海ラインを経て、八幡平アスピーテライン。ここを抜けて、十和田湖まで行く」
逸郎は地図を指で北に辿っていき、最後に十和田湖を指す。すみれの顔が輝いた。
「おお! 本格ツーリングっぽい」
「本格ツーリングだよ」
逸郎が返す。
「十和田湖までどのくらい?」
「距離にして百キロくらい。このあとすぐ出れば、三時前には着けるんじゃないかな」
昨日までの四日間しっかりバイトをこなしたので、今日からは休みだ。仮に今夜遅くに帰って来たとしても、ゆっくり休める時間は充分確保できる。そう逸郎は計算していた。
「イツロー、バイトは?」
「今週はもうない。金曜からは実家に顔出してこようかな、と」
ふーん。一抹の寂しさを隠すようにコッペパンをひと齧りするすみれ。
「すみれは?」
「木曜に会議があるけど、それまでは予定なーし」
「じゃ、あと三日は毎日走れるな」
パンを咥えたすみれはそれには応えず、ジェスチャーだけで早く食べてしまうよう逸郎を促した。