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三話 走ってきてくれてありがとう。

ー/ー



「昨夜のことは俺の胸の裡だけに留めとく。ゆかりんにも話さない。それでいいよな。だからイツローは安心してすみれちゃんとよろしくやってくれ」

 上手くいったら報告しろよ、と言い残し、シンスケは昼前に帰っていった。寮に戻って寝直すらしい。
 大きくひとつ伸びをする逸郎。いろいろ話を聞いてもらい別視点からの意見を受けたことで、なんとなく整理できたような気がしていた。本気で気持ちを切り替えるというのも悪くないかもしれない。
 と、スマホの着信音が鳴った。

********************************************
 やっほー! そろそろ起きた?
 今日は三時からだよね。よかったらその前にランチ行かない?
 憶えてるよね。最初の日にいったアメリカンなバーガー屋さん。
 一時過ぎくらいには合流できるといいなぁ♡すみれ
********************************************

 どうやらその前にも二通メッセージが届いていたようだ。逸郎は速攻でOKを返し、大急ぎで準備を始めた。


 午後一時十五分に店の中に駆け込んだとき、彼女は前と同じベンチシートの席でコーヒーを飲みながら英語で書かれたレポートを読んでいた。ポロシャツ、デニムにポニーテール。間違っても大学の先生には見えない。
 入口から自分を見つめる視線に気づいたすみれは、それまでのしかめつらしい表情を一変させ、満面の笑顔で汗だくの逸郎を迎えた。レポートを席の隣に置き、綺麗に畳んで置いていたおしぼりの内側を表にすると、向かいに腰掛けた逸郎に身を乗り出して、額の汗を拭う。ひと続きのそれらの動作はとても自然に見えた。

「こんなに暑い中、走ってきてくれてありがとう」

 短いセリフに込められたこんなにも全面的な肯定を、いままで貰ったことはない。遅刻した焦りや全力ダッシュの疲れが完璧に消え去っている。
 逸郎は感銘を受けた。



 例によってボリュームのあるハンバーガーをかぶりつきながら、昨日までと同じような善良で他愛もない会話。その中で、逸郎は昨夜の話を持ち出した。シンスケに問い質され、すみれと自分が仲良くなったと話したことを。ふたりに関わる話なのだから共有しなければいけない、そう思ったのだ。もちろん、弥生のくだりは除いて。
 はじめは表情を曇らせたすみれだったが、学食での自分の行動がキッカケの追求であり、話した相手も逸郎が信頼する一番親しい友人ということで納得した。

「ちゃんと先生っぽく話しかけたつもりだったのになぁ」

 ナプキンで手遊びしながら落ち込むふりをするすみれ。逸郎も付き合う。

「次はもっと厳しくやったらどう? 鞭とか持って、ビシッとさ」

「そんなこと言ってると、ホントにやっちゃうよ。わかってる? それやられるのイツローなんだからね」

 深刻ぶった仮装を早々に放棄して笑い合う、昼下がりのふたり。




 教習所に向かう道すがら、すみれは手を自然に差し出してきた。応じる逸郎。繋いだ手を嬉しそうにぶんぶん振りながら、すみれは言った。

「今度ちゃんとシンスケさんを紹介してね」

 もちろん、と逸郎も返した。
 シンスケだけじゃない。涼子も、ゆかりんも引き合わせよう。彼女たちだって、こんなに前向きで素敵なひとを気に入ってくれないはずがない。そうして、この人と俺の大事なひとたちとで仲良くずっと一緒にいられたら、俺にとってそんなに嬉しいことはない。

 照りつける夏の午後の陽射しの中で、逸郎はそんなことを本気で夢想していた。


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「昨夜のことは俺の胸の裡だけに留めとく。ゆかりんにも話さない。それでいいよな。だからイツローは安心してすみれちゃんとよろしくやってくれ」
 上手くいったら報告しろよ、と言い残し、シンスケは昼前に帰っていった。寮に戻って寝直すらしい。
 大きくひとつ伸びをする逸郎。いろいろ話を聞いてもらい別視点からの意見を受けたことで、なんとなく整理できたような気がしていた。本気で気持ちを切り替えるというのも悪くないかもしれない。
 と、スマホの着信音が鳴った。
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 やっほー! そろそろ起きた?
 今日は三時からだよね。よかったらその前にランチ行かない?
 憶えてるよね。最初の日にいったアメリカンなバーガー屋さん。
 一時過ぎくらいには合流できるといいなぁ♡すみれ
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 どうやらその前にも二通メッセージが届いていたようだ。逸郎は速攻でOKを返し、大急ぎで準備を始めた。
 午後一時十五分に店の中に駆け込んだとき、彼女は前と同じベンチシートの席でコーヒーを飲みながら英語で書かれたレポートを読んでいた。ポロシャツ、デニムにポニーテール。間違っても大学の先生には見えない。
 入口から自分を見つめる視線に気づいたすみれは、それまでのしかめつらしい表情を一変させ、満面の笑顔で汗だくの逸郎を迎えた。レポートを席の隣に置き、綺麗に畳んで置いていたおしぼりの内側を表にすると、向かいに腰掛けた逸郎に身を乗り出して、額の汗を拭う。ひと続きのそれらの動作はとても自然に見えた。
「こんなに暑い中、走ってきてくれてありがとう」
 短いセリフに込められたこんなにも全面的な肯定を、いままで貰ったことはない。遅刻した焦りや全力ダッシュの疲れが完璧に消え去っている。
 逸郎は感銘を受けた。
 例によってボリュームのあるハンバーガーをかぶりつきながら、昨日までと同じような善良で他愛もない会話。その中で、逸郎は昨夜の話を持ち出した。シンスケに問い質され、すみれと自分が仲良くなったと話したことを。ふたりに関わる話なのだから共有しなければいけない、そう思ったのだ。もちろん、弥生のくだりは除いて。
 はじめは表情を曇らせたすみれだったが、学食での自分の行動がキッカケの追求であり、話した相手も逸郎が信頼する一番親しい友人ということで納得した。
「ちゃんと先生っぽく話しかけたつもりだったのになぁ」
 ナプキンで手遊びしながら落ち込むふりをするすみれ。逸郎も付き合う。
「次はもっと厳しくやったらどう? 鞭とか持って、ビシッとさ」
「そんなこと言ってると、ホントにやっちゃうよ。わかってる? それやられるのイツローなんだからね」
 深刻ぶった仮装を早々に放棄して笑い合う、昼下がりのふたり。
 教習所に向かう道すがら、すみれは手を自然に差し出してきた。応じる逸郎。繋いだ手を嬉しそうにぶんぶん振りながら、すみれは言った。
「今度ちゃんとシンスケさんを紹介してね」
 もちろん、と逸郎も返した。
 シンスケだけじゃない。涼子も、ゆかりんも引き合わせよう。彼女たちだって、こんなに前向きで素敵なひとを気に入ってくれないはずがない。そうして、この人と俺の大事なひとたちとで仲良くずっと一緒にいられたら、俺にとってそんなに嬉しいことはない。
 照りつける夏の午後の陽射しの中で、逸郎はそんなことを本気で夢想していた。