七話 待ってたよ。
ー/ー「そんなのでよかったの?」
自分が推薦したものばかりとは言え、あまりにもチープ感がありすぎて心配になったすみれが聞いてきたが、問題ないと思う、と逸郎は答えた。
和柄扇子、キットカット抹茶味、サランラップ、そして林檎入りの南部せんべい、これを3セット。ほとんどを百円ショップで調達したが、"おじさま"たち3人をロックオンしてのお土産だから、これでいいはず。
ま、イツローが納得してるならそれでいいわ、とすみれ。さっきまでのスーツ姿ではなく、オフホワイトのカットソーと薄いブルーのフレアミニのコンビ。眼鏡をはずし、髪もポニーテールにしている。買い物に付き合うと答えた後、ちょっとだけ待っててと言い残して着替えに戻ったのだ。まるで普通の女子大生だ。とても先生には見えない。逸郎は、一緒に歩く自分まで誇らしく感じているのがわかった。
「ね、イツロー。そこでハンバーガー食べてかない?」
すみれが指差した先はMのマークがシンボルの超大手ファストフードチェーンだった。え、いいの? と逸郎は聞き返した。だってあそこじゃ、すみれさんの好きなハンバーガーと違うと思うよ。
「いいの! 私がイツローと行きたいの。ほら」
すみれの両手が逸郎の荷物を持っていない左手を掴んだ。後ろ歩きで先導するすみれに手を引かれるまま、店に入っていった。
「私ね、実は日本でここに入るのって中学生のとき以来なんだ」
楽しそうにすみれはイツローにそう白状した。両手はまだ、逸郎の左手を包み込むように握っている。ましてや男の子と手を繋いで入るなんて。そう言って笑うすみれは、まるで高校生のようにさえ見えた。
ハンバーガーチェーンでは、すみれのアメリカでの大学生活の話を聞いた。広大な敷地を半分に分けるTichyとFuzzy。すみれの専攻はFuzzyだったけど、実験や数理研究なんかも絡んでくるので、よくTichyの講義に紛れ込んだとか、建物ひとつひとつがとにかく格調高くて、広場にはロダンの彫刻が普通に野ざらしで置いてあったとか、全体が街そのものだったとか、先生も学生も賢い人ばかりだったけどみんな同じくらい変な人だったとか。
あらためて、すみれが自分とは違うスペシャルな(もしかしたら涼子なら少しは近いかもしれない)存在なんだと気づかされつつ、よく動く愛くるしい瞳や身振り手振り、ポテトに手を伸ばす頻度などで共通点を見つけたりもした。自分の経験の棚にはこれっぽっちも在庫の無いまったく知らない世界の日常を、お互いの故郷とは違う地方都市駅前の店の角席でL字に座って聴くのは不思議な気がする。人の体験やポリシーに普通なんてものは存在しなくて、みんな違ったベクトルを持った愛おしいものなのかもしれない。そう思いながら逸郎はハンバーガーを齧っていた。いつもとは違う味がした気がしたし、なによりも楽しかった。
時刻は午後九時。駅ビルでの用事はとっくに終わってる。食事も終えた。あとはお礼を言ってさよならか。逸郎はもの悲しい気持ちになっていた。研究室でのひとときはGW以降の生活の中で最高に楽しかった。それどころか、あんなにドキドキしたのは今まで一度も無かったかもしれない。今だってこんなにも心が浮き立っている。それだけに、これで今日をおしまいにしてしまうのが惜しかったのだ。明日にだって教習所では会えるかもしれないけれど。
「あの……」
駅ビルを抜け、川沿いの遊歩道を歩きながら、イツローは前を行く白いシルエットに声をかけた。仔馬の尻尾を振って振り向く小さな顔。
「俺……」
高校の体育館裏の風景がフラッシュバックした。ごめんね、と彼女は言った。田中くん、遅かったよ。だけどこれ、笑っちゃうよね。だってあたし、付き合い始めたの一昨日からだよ。しかも彼とはじめて会ってから一週間も経ってない。田中くんは昨日あたしにくれた手紙書くまで何日かかったの? 三日? 一週間? 違うよね。三か月くらい前から見てたもんね、あたしのこと。あたしね、最初は待ってたんだよ。でもだんだん待つのも飽きてきちゃったし。もう別にいっかな、て。そしたらこのタイミングだよ。ホント、笑っちゃうよ。悪いけど。
「まだもう少し……」
雪の結晶が舞い踊る中、頬だけが赤い朗らかな笑顔。
西陽の差し込むドーナツショップ。
包丁を手にしたまま、驚きで放心している顔。
夜のバス停で真っ直ぐこっちを見て、なにか話そうと動き出す唇。
俺は夜の道を走ってる。交差点の向こうに停まってるタクシー。男に背を押され彼女が乗り込んでる。大声で名前を呼ぶ。でも伝わらない。走り出すタクシー。後ろの窓の彼女が俺を見てる。肺をふいごのようにして追いかけた。でも、届かなかった。
「あなたと……」
シルエットの白い顔がこっちを見てる。少しだけ小首をかしげながら、双つの瞳が俺の目と繋がってる。川の流れる調べの中で、俺たちはまだ、向かい合えてる。車のライトが一瞬だけ横顔を照らした。俺はそれを大事に思ってる。今。
「一緒にいたい、です」
やっと。やっと言えた。伝えるべき言葉を。
「まだもっと話がしたい。俺は、もっともっとあなたのことが知りたい」
必要なとき、伝えたい相手に。
《*「待ってたよ」*》
と彼女は言った。
「私もおんなじ気持ちだから」
自分が推薦したものばかりとは言え、あまりにもチープ感がありすぎて心配になったすみれが聞いてきたが、問題ないと思う、と逸郎は答えた。
和柄扇子、キットカット抹茶味、サランラップ、そして林檎入りの南部せんべい、これを3セット。ほとんどを百円ショップで調達したが、"おじさま"たち3人をロックオンしてのお土産だから、これでいいはず。
ま、イツローが納得してるならそれでいいわ、とすみれ。さっきまでのスーツ姿ではなく、オフホワイトのカットソーと薄いブルーのフレアミニのコンビ。眼鏡をはずし、髪もポニーテールにしている。買い物に付き合うと答えた後、ちょっとだけ待っててと言い残して着替えに戻ったのだ。まるで普通の女子大生だ。とても先生には見えない。逸郎は、一緒に歩く自分まで誇らしく感じているのがわかった。
「ね、イツロー。そこでハンバーガー食べてかない?」
すみれが指差した先はMのマークがシンボルの超大手ファストフードチェーンだった。え、いいの? と逸郎は聞き返した。だってあそこじゃ、すみれさんの好きなハンバーガーと違うと思うよ。
「いいの! 私がイツローと行きたいの。ほら」
すみれの両手が逸郎の荷物を持っていない左手を掴んだ。後ろ歩きで先導するすみれに手を引かれるまま、店に入っていった。
「私ね、実は日本でここに入るのって中学生のとき以来なんだ」
楽しそうにすみれはイツローにそう白状した。両手はまだ、逸郎の左手を包み込むように握っている。ましてや男の子と手を繋いで入るなんて。そう言って笑うすみれは、まるで高校生のようにさえ見えた。
ハンバーガーチェーンでは、すみれのアメリカでの大学生活の話を聞いた。広大な敷地を半分に分けるTichyとFuzzy。すみれの専攻はFuzzyだったけど、実験や数理研究なんかも絡んでくるので、よくTichyの講義に紛れ込んだとか、建物ひとつひとつがとにかく格調高くて、広場にはロダンの彫刻が普通に野ざらしで置いてあったとか、全体が街そのものだったとか、先生も学生も賢い人ばかりだったけどみんな同じくらい変な人だったとか。
あらためて、すみれが自分とは違うスペシャルな(もしかしたら涼子なら少しは近いかもしれない)存在なんだと気づかされつつ、よく動く愛くるしい瞳や身振り手振り、ポテトに手を伸ばす頻度などで共通点を見つけたりもした。自分の経験の棚にはこれっぽっちも在庫の無いまったく知らない世界の日常を、お互いの故郷とは違う地方都市駅前の店の角席でL字に座って聴くのは不思議な気がする。人の体験やポリシーに普通なんてものは存在しなくて、みんな違ったベクトルを持った愛おしいものなのかもしれない。そう思いながら逸郎はハンバーガーを齧っていた。いつもとは違う味がした気がしたし、なによりも楽しかった。
時刻は午後九時。駅ビルでの用事はとっくに終わってる。食事も終えた。あとはお礼を言ってさよならか。逸郎はもの悲しい気持ちになっていた。研究室でのひとときはGW以降の生活の中で最高に楽しかった。それどころか、あんなにドキドキしたのは今まで一度も無かったかもしれない。今だってこんなにも心が浮き立っている。それだけに、これで今日をおしまいにしてしまうのが惜しかったのだ。明日にだって教習所では会えるかもしれないけれど。
「あの……」
駅ビルを抜け、川沿いの遊歩道を歩きながら、イツローは前を行く白いシルエットに声をかけた。仔馬の尻尾を振って振り向く小さな顔。
「俺……」
高校の体育館裏の風景がフラッシュバックした。ごめんね、と彼女は言った。田中くん、遅かったよ。だけどこれ、笑っちゃうよね。だってあたし、付き合い始めたの一昨日からだよ。しかも彼とはじめて会ってから一週間も経ってない。田中くんは昨日あたしにくれた手紙書くまで何日かかったの? 三日? 一週間? 違うよね。三か月くらい前から見てたもんね、あたしのこと。あたしね、最初は待ってたんだよ。でもだんだん待つのも飽きてきちゃったし。もう別にいっかな、て。そしたらこのタイミングだよ。ホント、笑っちゃうよ。悪いけど。
「まだもう少し……」
雪の結晶が舞い踊る中、頬だけが赤い朗らかな笑顔。
西陽の差し込むドーナツショップ。
包丁を手にしたまま、驚きで放心している顔。
夜のバス停で真っ直ぐこっちを見て、なにか話そうと動き出す唇。
俺は夜の道を走ってる。交差点の向こうに停まってるタクシー。男に背を押され彼女が乗り込んでる。大声で名前を呼ぶ。でも伝わらない。走り出すタクシー。後ろの窓の彼女が俺を見てる。肺をふいごのようにして追いかけた。でも、届かなかった。
「あなたと……」
シルエットの白い顔がこっちを見てる。少しだけ小首をかしげながら、双つの瞳が俺の目と繋がってる。川の流れる調べの中で、俺たちはまだ、向かい合えてる。車のライトが一瞬だけ横顔を照らした。俺はそれを大事に思ってる。今。
「一緒にいたい、です」
やっと。やっと言えた。伝えるべき言葉を。
「まだもっと話がしたい。俺は、もっともっとあなたのことが知りたい」
必要なとき、伝えたい相手に。
《*「待ってたよ」*》
と彼女は言った。
「私もおんなじ気持ちだから」
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和柄扇子、キットカット抹茶味、サランラップ、そして林檎入りの南部せんべい、これを3セット。ほとんどを百円ショップで調達したが、"おじさま"たち3人をロックオンしてのお土産だから、これでいいはず。
和柄扇子、キットカット抹茶味、サランラップ、そして林檎入りの南部せんべい、これを3セット。ほとんどを百円ショップで調達したが、"おじさま"たち3人をロックオンしてのお土産だから、これでいいはず。
ま、イツローが納得してるならそれでいいわ、とすみれ。さっきまでのスーツ姿ではなく、オフホワイトのカットソーと薄いブルーのフレアミニのコンビ。眼鏡をはずし、髪もポニーテールにしている。買い物に付き合うと答えた後、ちょっとだけ待っててと言い残して着替えに戻ったのだ。まるで普通の女子大生だ。とても先生には見えない。逸郎は、一緒に歩く自分まで誇らしく感じているのがわかった。
「ね、イツロー。そこでハンバーガー食べてかない?」
すみれが指差した先はMのマークがシンボルの超大手ファストフードチェーンだった。え、いいの? と逸郎は聞き返した。だってあそこじゃ、すみれさんの好きなハンバーガーと違うと思うよ。
「いいの! 私がイツローと行きたいの。ほら」
すみれの両手が逸郎の荷物を持っていない左手を掴んだ。後ろ歩きで先導するすみれに手を引かれるまま、店に入っていった。
「私ね、実は日本でここに入るのって中学生のとき以来なんだ」
楽しそうにすみれはイツローにそう白状した。両手はまだ、逸郎の左手を包み込むように握っている。ましてや男の子と手を繋いで入るなんて。そう言って笑うすみれは、まるで高校生のようにさえ見えた。
ハンバーガーチェーンでは、すみれのアメリカでの大学生活の話を聞いた。広大な敷地を半分に分けるTichyとFuzzy。すみれの専攻はFuzzyだったけど、実験や数理研究なんかも絡んでくるので、よくTichyの講義に紛れ込んだとか、建物ひとつひとつがとにかく格調高くて、広場にはロダンの彫刻が普通に野ざらしで置いてあったとか、全体が街そのものだったとか、先生も学生も賢い人ばかりだったけどみんな同じくらい変な人だったとか。
あらためて、すみれが自分とは違うスペシャルな(もしかしたら涼子なら少しは近いかもしれない)存在なんだと気づかされつつ、よく動く愛くるしい瞳や身振り手振り、ポテトに手を伸ばす頻度などで共通点を見つけたりもした。自分の経験の棚にはこれっぽっちも在庫の無いまったく知らない世界の日常を、お互いの故郷とは違う地方都市駅前の店の角席でL字に座って聴くのは不思議な気がする。人の体験やポリシーに普通なんてものは存在しなくて、みんな違ったベクトルを持った愛おしいものなのかもしれない。そう思いながら逸郎はハンバーガーを齧っていた。いつもとは違う味がした気がしたし、なによりも楽しかった。
あらためて、すみれが自分とは違うスペシャルな(もしかしたら涼子なら少しは近いかもしれない)存在なんだと気づかされつつ、よく動く愛くるしい瞳や身振り手振り、ポテトに手を伸ばす頻度などで共通点を見つけたりもした。自分の経験の棚にはこれっぽっちも在庫の無いまったく知らない世界の日常を、お互いの故郷とは違う地方都市駅前の店の角席でL字に座って聴くのは不思議な気がする。人の体験やポリシーに普通なんてものは存在しなくて、みんな違ったベクトルを持った愛おしいものなのかもしれない。そう思いながら逸郎はハンバーガーを齧っていた。いつもとは違う味がした気がしたし、なによりも楽しかった。
時刻は午後九時。駅ビルでの用事はとっくに終わってる。食事も終えた。あとはお礼を言ってさよならか。逸郎はもの悲しい気持ちになっていた。研究室でのひとときはGW以降の生活の中で最高に楽しかった。それどころか、あんなにドキドキしたのは今まで一度も無かったかもしれない。今だってこんなにも心が浮き立っている。それだけに、これで今日をおしまいにしてしまうのが惜しかったのだ。明日にだって教習所では会えるかもしれないけれど。
「あの……」
駅ビルを抜け、川沿いの遊歩道を歩きながら、イツローは前を行く白いシルエットに声をかけた。仔馬の尻尾を振って振り向く小さな顔。
「俺……」
高校の体育館裏の風景がフラッシュバックした。ごめんね、と彼女は言った。田中くん、遅かったよ。だけどこれ、笑っちゃうよね。だってあたし、付き合い始めたの一昨日《おととい》からだよ。しかも彼とはじめて会ってから一週間も経ってない。田中くんは昨日あたしにくれた手紙書くまで何日かかったの? 三日? 一週間? 違うよね。三か月くらい前から見てたもんね、あたしのこと。あたしね、最初は待ってたんだよ。でもだんだん待つのも飽きてきちゃったし。もう別にいっかな、て。そしたらこのタイミングだよ。ホント、笑っちゃうよ。悪いけど。
「まだもう少し……」
雪の結晶が舞い踊る中、頬だけが赤い朗らかな笑顔。
|西陽《にしび》の差し込むドーナツショップ。
包丁を手にしたまま、驚きで放心している顔。
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|西陽《にしび》の差し込むドーナツショップ。
包丁を手にしたまま、驚きで放心している顔。
夜のバス停で真っ直ぐこっちを見て、なにか話そうと動き出す唇。
俺は夜の道を走ってる。交差点の向こうに停まってるタクシー。男に背を押され彼女が乗り込んでる。大声で名前を呼ぶ。でも伝わらない。走り出すタクシー。後ろの窓の彼女が俺を見てる。肺をふいごのようにして追いかけた。でも、届かなかった。
「あなたと……」
シルエットの白い顔がこっちを見てる。少しだけ小首をかしげながら、双つの瞳が俺の目と繋がってる。川の流れる調べの中で、俺たちはまだ、向かい合えてる。車のライトが一瞬だけ横顔を照らした。俺はそれを大事に思ってる。今。
「一緒にいたい、です」
やっと。やっと言えた。伝えるべき言葉を。
「まだもっと話がしたい。俺は、もっともっとあなたのことが知りたい」
必要なとき、伝えたい相手に。
《*「待ってたよ」*》
と彼女は言った。
「私もおんなじ気持ちだから」