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二話 こう見えてあたし、走るのは早くないんです。

ー/ー



「先輩、まーやになんかしたんですか?」

 由香里が逸郎に詰め寄った来た。
 階段教室で弥生と由香里を見かけた翌々日、部室でスマホをいじっていた逸郎は、入ってきた由香里に袖を引きずられ中庭のベンチまで連れてこられたのだ。

「イツロー先輩、合宿のときまでやたらまーやをかまってたじゃないですか。それはもう犯罪的えこ贔屓レベルで。心優しくも寛容なまーやもお情けで、嫌がらずに一緒になって笑ってあげたし。それなのに! それなのにですよ。ひっさしぶりに会えてあたしといつもの楽しいガールズトークしてたのに、先輩の顔見たら走って逃げちゃったじゃないですか」

 由香里は息継ぎして、持っていたミネラルウォーターをぐびっとひと口飲んだ。なんだよその犯罪的えこ贔屓ってのは。全部聞き終わったら抗議してやる、一個ずつ。逸郎も息を整え聞く準備を整えた。

「こう見えてあたし、走るのは早くないんです。いや、はっきり言って遅いんです。亀のちょっと前くらい。ましてやまーやは、物知らずの先輩は知らないでしょうが、クラスでもトップクラスに速いんです」

 物知らずは余計だが、たしかにそれは知らなかった。

「あんな本気走りされたらあたしなんかじゃ追いつくはずないんです。それでまた行方不明ですよ。ホントにもう」

「連絡とかしなかったのか」

 口を挟むつもりではなかったが、あまりに素朴なんで逸郎はつい尋ねてしまった。

「しませんよ! あたしは! そんな追い詰めるようなこと。だいたいまーやはSNSが嫌いなんです」

 ああ。確かに言ってた。デジタルの文字、苦手なんです、って。

「だからもう、先輩に聞くしかないんです。いったいまーやに、あの優しくて聡明なまーやに何をしてくれたんですか?!」

 こいつはこいつで心配してくれてんだな。そう思った逸郎は、揚げ足を取るのを諦めてちゃんと向き合ってやろうと考えを改めた。

「俺だってわかってることは、たぶん原町田と同じくらい少ない。でもおまえの知らないことで俺の知ってることを共有することはできる、と思う」

 由香里の鼻息が少し治まった。茶々を挟もうとしないところを見ると、話を聞くモードに入ったらしい。


「合宿の最後の夜のとこからだな」

 逸郎は由香里に、あの夜のバスロータリーで自分が弥生を呼び寄せて告白したことを話した。由香里は、さほど意外そうな顔もせずに黙って聞いている。想定内ってとこか。

「そのときは返事を貰えなかった。弥生が答えようとする前におまえが連れてっちゃったからな」

「やはりあのときですか。あの場面、あたしの高感度アンテナが警報を鳴らしたんです。これはヤバいことになってるから、早く助けに行けって」

 ほんっと余分なことばっかしやがって。このおじゃマチダが。

「俺も言いたいことは言ったし、次は弥生のターンだから追っかけるのは違うなって放っといたんだ。メールで聞く話じゃないしな。打ち上げのときに答えてくれるかなってさ」

「先輩のそのお気遣いは評価します。あたしの先輩に対する評価を0.1くらい戻しました」

「ちなみに現在値はどのあたりなんだ?」

 マイナス11999.9です、とこともなげに由香里は言い放った。どういうスコアだよそれは。マイナス12000って、パーティー全体が十回くらい死んでるぞ。

「で、打ち上げの日、弥生は返事したんですか? あの晩は、先輩はその悪虐なる手練手管を存分に駆使して弥生の隣を陣取ってましたからねぇ」

 ひとをそんな極悪魔神みたいに形容するな! あれはむしろ、弥生が席を確保しててくれたんだ。見てたんならそこまで察しろ。 あとお前、完全に語彙と知識の使い道間違ってるぞ。

「原町田の評価はとりあえず置いておこう。そうだよ。少しでも早く答えを聞きたかったから、俺はたまたま空いてた弥生の隣を確保した。おまえの言ってることは、それほど酷く間違ってるわけじゃない」

 そうでしょうとも、と太字で書いてある顔をして由香里はうんうんと頷いた。

「応えてくれようとしてたんだ、弥生は。以心伝心できるほどにわかりあうにはまだはるか遠いけど、少なくともあのときは弥生が、弥生自身の持つコンプレックスみたいな何かを俺に預けてみようって決断したのがわかったんだ。でも」

「でも?」

 教え子に答え合わせをさせるように、由香里は鸚鵡(おうむ)返ししてきた。

「弥生が言葉にする前に……、槍須……さんに呼び出されてしまったんだ」

 吐き出すように逸郎は声に出した。槍須が弥生を呼びつけなければ、周りが、由香里が、そして誰よりも俺が、それに同調さえしなければ。
 口に出して話しているうちに胸の裡の堪え難いものが込み上げてきて制御できなくなっていた。
 逸郎の足元に雨粒が跳ねた。


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「先輩、まーやになんかしたんですか?」
 由香里が逸郎に詰め寄った来た。
 階段教室で弥生と由香里を見かけた翌々日、部室でスマホをいじっていた逸郎は、入ってきた由香里に袖を引きずられ中庭のベンチまで連れてこられたのだ。
「イツロー先輩、合宿のときまでやたらまーやをかまってたじゃないですか。それはもう犯罪的えこ贔屓レベルで。心優しくも寛容なまーやもお情けで、嫌がらずに一緒になって笑ってあげたし。それなのに! それなのにですよ。ひっさしぶりに会えてあたしといつもの楽しいガールズトークしてたのに、先輩の顔見たら走って逃げちゃったじゃないですか」
 由香里は息継ぎして、持っていたミネラルウォーターをぐびっとひと口飲んだ。なんだよその犯罪的えこ贔屓ってのは。全部聞き終わったら抗議してやる、一個ずつ。逸郎も息を整え聞く準備を整えた。
「こう見えてあたし、走るのは早くないんです。いや、はっきり言って遅いんです。亀のちょっと前くらい。ましてやまーやは、物知らずの先輩は知らないでしょうが、クラスでもトップクラスに速いんです」
 物知らずは余計だが、たしかにそれは知らなかった。
「あんな本気走りされたらあたしなんかじゃ追いつくはずないんです。それでまた行方不明ですよ。ホントにもう」
「連絡とかしなかったのか」
 口を挟むつもりではなかったが、あまりに素朴なんで逸郎はつい尋ねてしまった。
「しませんよ! あたしは! そんな追い詰めるようなこと。だいたいまーやはSNSが嫌いなんです」
 ああ。確かに言ってた。デジタルの文字、苦手なんです、って。
「だからもう、先輩に聞くしかないんです。いったいまーやに、あの優しくて聡明なまーやに何をしてくれたんですか?!」
 こいつはこいつで心配してくれてんだな。そう思った逸郎は、揚げ足を取るのを諦めてちゃんと向き合ってやろうと考えを改めた。
「俺だってわかってることは、たぶん原町田と同じくらい少ない。でもおまえの知らないことで俺の知ってることを共有することはできる、と思う」
 由香里の鼻息が少し治まった。茶々を挟もうとしないところを見ると、話を聞くモードに入ったらしい。
「合宿の最後の夜のとこからだな」
 逸郎は由香里に、あの夜のバスロータリーで自分が弥生を呼び寄せて告白したことを話した。由香里は、さほど意外そうな顔もせずに黙って聞いている。想定内ってとこか。
「そのときは返事を貰えなかった。弥生が答えようとする前におまえが連れてっちゃったからな」
「やはりあのときですか。あの場面、あたしの高感度アンテナが警報を鳴らしたんです。これはヤバいことになってるから、早く助けに行けって」
 ほんっと余分なことばっかしやがって。このおじゃマチダが。
「俺も言いたいことは言ったし、次は弥生のターンだから追っかけるのは違うなって放っといたんだ。メールで聞く話じゃないしな。打ち上げのときに答えてくれるかなってさ」
「先輩のそのお気遣いは評価します。あたしの先輩に対する評価を0.1くらい戻しました」
「ちなみに現在値はどのあたりなんだ?」
 マイナス11999.9です、とこともなげに由香里は言い放った。どういうスコアだよそれは。マイナス12000って、パーティー全体が十回くらい死んでるぞ。
「で、打ち上げの日、弥生は返事したんですか? あの晩は、先輩はその悪虐なる手練手管を存分に駆使して弥生の隣を陣取ってましたからねぇ」
 ひとをそんな極悪魔神みたいに形容するな! あれはむしろ、弥生が席を確保しててくれたんだ。見てたんならそこまで察しろ。 あとお前、完全に語彙と知識の使い道間違ってるぞ。
「原町田の評価はとりあえず置いておこう。そうだよ。少しでも早く答えを聞きたかったから、俺はたまたま空いてた弥生の隣を確保した。おまえの言ってることは、それほど酷く間違ってるわけじゃない」
 そうでしょうとも、と太字で書いてある顔をして由香里はうんうんと頷いた。
「応えてくれようとしてたんだ、弥生は。以心伝心できるほどにわかりあうにはまだはるか遠いけど、少なくともあのときは弥生が、弥生自身の持つコンプレックスみたいな何かを俺に預けてみようって決断したのがわかったんだ。でも」
「でも?」
 教え子に答え合わせをさせるように、由香里は|鸚鵡《おうむ》返ししてきた。
「弥生が言葉にする前に……、槍須……さんに呼び出されてしまったんだ」
 吐き出すように逸郎は声に出した。槍須が弥生を呼びつけなければ、周りが、由香里が、そして誰よりも俺が、それに同調さえしなければ。
 口に出して話しているうちに胸の裡の堪え難いものが込み上げてきて制御できなくなっていた。
 逸郎の足元に雨粒が跳ねた。