表示設定
表示設定
目次 目次




六話 目標は、年間百本。

ー/ー



「私、あの四人の中だったら誰に一番近いですか?」



 飲茶ラーメンのあと、もう少し話をしたいと思った逸郎がコーヒーの追加を促すと、弥生はぱぁっと明るくなって、即答で応じた。それだけでなく、弥生は紅茶のほかにドーナツを三個も皿に乗せて戻ってきた。数が合わない、と思っていたら、ナイフでそれぞれを半分にしている。

「いろいろ目移りしちゃったんで、また、はしゃいじゃいました」

 イツロー先輩も食べてくださいね、と言って、笑顔の弥生はドーナツの皿を真ん中に滑らせた。
 そこから、弥生のユーフォ語りが始まった。



「新入生の四人で?」

 はい、と元気よく答える弥生。好きなことを語るときはこんな風になるんだ、と感じながら、逸郎は熟考する。人嫌いと人好きの両極端なW鈴木はなんか違うし、トゲだらけの(もとむ)もぜんぜん違う。

「強いて言えば、奏(かなで)、かな」
 
「えー?! 私、あんなメンドクサイ後輩じゃないですよぉ」

 そう言って頬を膨らませる弥生。ハムスターみたいで可愛い。

「いや、だから、強いて言えばだって。ほら弥生さん、ちょっと控えめだけど基本いつも笑顔だろ。髪型も少し似てるし、言葉遣いも丁寧だし。内側ではなんかいろいろと考えてそうな奥深さも」

「あんなに要領良くないですよ、私。楽器もできないし友だちも少ない……」

 それに、あんなに可愛くない。もごもごとそう呟く弥生を見つめながら、可愛さでなら全然負けてない、と逸郎は思った。



「そういえば、今日買った本ってなに? 買いそびれてたって言ってたけど、シリーズものか何か?」

 空になった皿をどけ、ナプキンでテーブルの上をさっと拭ってから、弥生はトートバッグから文庫本を取り出して書店カバーを外した。マンガ調の絵柄で、ちょっと複雑な表情をした冬服の女の子が表紙を飾っている。

『キミの忘れかたを教えて2』

 あまさきみりと。知らない作家だ。ライトノベルは毎月星の数ほど出てるからとてもじゃないが追いきれない。

「不治の病で余命半年の男のひとと、歌手になったけど活動休止してる幼馴染の女のひとの話の第二巻です。ベタっていえばかなりベタな部類の設定なんですけど、ふたりの故郷が東北の過疎村っていうのも、なんか親近感があって」

「ふぅん。ラノベはあんまり読まないけど、二巻くらいならすぐ読めそうだな」

「読んでみます? 私も今日中には読んじゃうと思いますから、二冊まとめて来週持ってきますよ」

「ありがとう。平日の昼どきはたいてい中央食堂にいるから、スマホで呼び出してくれれば受け取りに行くよ」

 丁寧に手順を逆回しした弥生は、嬉しそうに本を仕舞ってから逸郎に尋ねてきた。

「先輩はどんな本を読まれるんですか?」

 そうだなぁ、と腕組みをして逸郎は応える。

「最近だと伊坂とか湊ゆきえとか、SFとかも。でもどっちかっていうと読むのはマンガの方が多いかな。あと、映画。今日も午前中は別の、中国の映画を観てきたし」

「面白かったんですか?」

「いや、イマイチだった」

「それは残念でしたね」

 弥生は我がことのようにしゅんとした。

「いや、でもユーフォは良かったし。それにイマイチなのも含めて、とにかくたくさん観るのが大事だって思ってるから」

「たくさんって、どのくらい?」

「目標は、年間百本」

 うわ、という顔の弥生。

「昨年度は勝手がわからなくて、五十本くらいだったけどね」

「それ、全部映画館でですか?」

 逸郎は、まさか、と手を広げてみせる。

「大半はビデオだよ。ときどきやってる古書市の一枚三百円均一ワゴンセールみたいなのから、旧作やあんまり知られてないの中心に、ごそっとね」

「外れとか無いんですか?」

「そんなの、いっぱいあるよ。でもね、それぞれ、監督や脚本家やキャストたちが初めから駄作を目指してるわけないよね。何か見せたいもの、語りたいものがあって、それをフィルムに焼き付けようと必死でつくってたに違いないんだ。その変換がうまくいかなくて失敗作になってしまうことは、わりとよくある。でも、彼らの結晶みたいな作品を三百円で観ることができてしまう俺たちがすべきことは、対価を盾にdisったりするんじゃなくて、彼らの想いを読み解くことだと思ってる」

 弥生は考えている。逸郎の言ったことを、自分の中の何かに置き換えて咀嚼しているのだろう。


 偉そうに長広舌してしまった、と反省しながらコーヒーの最後のひと口を飲み干して、音をたてないようにマグを置いた逸郎に、沈黙していた弥生が話しかけた。

「先輩のお部屋には、たくさんあるんですか? 映画のDVD」

 逸郎は自分の部屋の収納棚を思い浮かべた。
 先月末に引っ越したばかりの逸郎の新しい部屋。高松の池の(ほとり)に建つ小ぢんまりとした一軒家だ。その広くなった部屋にしつらえて、相部屋だった寮では置くことのできなかった蔵書や円盤をこの機会に大量に持ち込んで、つい先日収納整理を終えたばかりの棚。

「実家に置いてきたのもあるけど、めぼしいのはほぼ全部持ってきたし、こっちで手に入れたのも結構あるから……、たぶん五百本以上は」

 すごい量……。弥生は感嘆する。



 そこからの逸郎は、弥生に問われるままにいろいろな映画の話をした。最初に観た映画、影響を受けた映画、元気が出る映画、つらいときに観る映画、一番好きな映画。どの話も眼を輝かせて聴く弥生は、自分の知っている映画のタイトルが上がるとさらに前のめりになる。勢いに乗せられ、気がついたら一番好きなヒロインの話までしていた。

「クラリス、かな。『羊たちの沈黙』の、じゃなくてアニメの『カリオストロの城』の方。観たことある? そう。あのクラリス。囚われのお姫様。主役はもちろんルパンだけど、はっきりいってあの映画はクラリスの、クラリスによる、クラリスのためのプロモーションフィルムといっても言い過ぎじゃない。実のところ、あの映画でのクラリスの台詞はそんなに多くないんだ。意味のある長台詞なんて、塔の屋根の上での口上とラストシーンの二か所だけって言ってもいい。にもかかわらず、島本須美さんが当てた彼女の短い呼びかけ、『おじさま』とか『次元さまも』とか『捨てられたの?』とか、あとは節々での息遣いとセルに描かれた二次元の動きだけで、俺たちが納得して夢中になる存在感を顕しているんだ。まだ血気盛んだったころの宮崎駿氏が当時の自分の理想を顕現させた完璧な美少女に、俺もやられちゃったんだな」

 ヤヴァイ、俺、語っちゃってる。
 途中でそう自覚した逸郎だったが、滑り出した口は止められなかった。これは引かれた、と後悔したが、意外なことに弥生も頷きながら聴き入ってくれていた。




 いつの間にか陽も暮れ、窓の外の大通も夜の様相に変わっている。どうやら三時間近く席を占有していたようだ。ドーナツショップから言わせれば、随分と迷惑な客だったのではないか。逸郎のそんな懸念を察してなのか、小さく会釈をして出ていく弥生。逸郎は、レジを預かる店員の表情が緩んだのを見た気がした。


 北上川沿いに材木町を抜け、夕顔瀬橋を渡って舘向まで向かう。
 夜はまだ肌寒い季節だが、今日はなぜだか身体の内側が暖かい。思いのほか充実した一日だった。そう振り返りながら、逸郎は夜の歩道をゆっくりと歩く。真横に並んでいた弥生が数歩前に出てから逸郎に向き直って足を止めた。逸郎も立ち止まる。ぶつかりそうな距離感。逸郎のすぐ目の前、街道を行く車のヘッドライトに照らされて艶やかに光るピンク色の唇が、弥生の静かだが強い願いを紡いだ。

「いつかそのうち、イツロー先輩の部屋に行って、お奨めしてくれる映画を観てみたい……」


スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「私、あの四人の中だったら誰に一番近いですか?」
 飲茶ラーメンのあと、もう少し話をしたいと思った逸郎がコーヒーの追加を促すと、弥生はぱぁっと明るくなって、即答で応じた。それだけでなく、弥生は紅茶のほかにドーナツを三個も皿に乗せて戻ってきた。数が合わない、と思っていたら、ナイフでそれぞれを半分にしている。
「いろいろ目移りしちゃったんで、また、はしゃいじゃいました」
 イツロー先輩も食べてくださいね、と言って、笑顔の弥生はドーナツの皿を真ん中に滑らせた。
 そこから、弥生のユーフォ語りが始まった。
「新入生の四人で?」
 はい、と元気よく答える弥生。好きなことを語るときはこんな風になるんだ、と感じながら、逸郎は熟考する。人嫌いと人好きの両極端なW鈴木はなんか違うし、トゲだらけの求《もとむ》もぜんぜん違う。
「強いて言えば、奏《かなで》、かな」
「えー?! 私、あんなメンドクサイ後輩じゃないですよぉ」
 そう言って頬を膨らませる弥生。ハムスターみたいで可愛い。
「いや、だから、強いて言えばだって。ほら弥生さん、ちょっと控えめだけど基本いつも笑顔だろ。髪型も少し似てるし、言葉遣いも丁寧だし。内側ではなんかいろいろと考えてそうな奥深さも」
「あんなに要領良くないですよ、私。楽器もできないし友だちも少ない……」
 それに、あんなに可愛くない。もごもごとそう呟く弥生を見つめながら、可愛さでなら全然負けてない、と逸郎は思った。
「そういえば、今日買った本ってなに? 買いそびれてたって言ってたけど、シリーズものか何か?」
 空になった皿をどけ、ナプキンでテーブルの上をさっと拭ってから、弥生はトートバッグから文庫本を取り出して書店カバーを外した。マンガ調の絵柄で、ちょっと複雑な表情をした冬服の女の子が表紙を飾っている。
『キミの忘れかたを教えて2』
 あまさきみりと。知らない作家だ。ライトノベルは毎月星の数ほど出てるからとてもじゃないが追いきれない。
「不治の病で余命半年の男のひとと、歌手になったけど活動休止してる幼馴染の女のひとの話の第二巻です。ベタっていえばかなりベタな部類の設定なんですけど、ふたりの故郷が東北の過疎村っていうのも、なんか親近感があって」
「ふぅん。ラノベはあんまり読まないけど、二巻くらいならすぐ読めそうだな」
「読んでみます? 私も今日中には読んじゃうと思いますから、二冊まとめて来週持ってきますよ」
「ありがとう。平日の昼どきはたいてい中央食堂にいるから、スマホで呼び出してくれれば受け取りに行くよ」
 丁寧に手順を逆回しした弥生は、嬉しそうに本を仕舞ってから逸郎に尋ねてきた。
「先輩はどんな本を読まれるんですか?」
 そうだなぁ、と腕組みをして逸郎は応える。
「最近だと伊坂とか湊ゆきえとか、SFとかも。でもどっちかっていうと読むのはマンガの方が多いかな。あと、映画。今日も午前中は別の、中国の映画を観てきたし」
「面白かったんですか?」
「いや、イマイチだった」
「それは残念でしたね」
 弥生は我がことのようにしゅんとした。
「いや、でもユーフォは良かったし。それにイマイチなのも含めて、とにかくたくさん観るのが大事だって思ってるから」
「たくさんって、どのくらい?」
「目標は、年間百本」
 うわ、という顔の弥生。
「昨年度は勝手がわからなくて、五十本くらいだったけどね」
「それ、全部映画館でですか?」
 逸郎は、まさか、と手を広げてみせる。
「大半はビデオだよ。ときどきやってる古書市の一枚三百円均一ワゴンセールみたいなのから、旧作やあんまり知られてないの中心に、ごそっとね」
「外れとか無いんですか?」
「そんなの、いっぱいあるよ。でもね、それぞれ、監督や脚本家やキャストたちが初めから駄作を目指してるわけないよね。何か見せたいもの、語りたいものがあって、それをフィルムに焼き付けようと必死でつくってたに違いないんだ。その変換がうまくいかなくて失敗作になってしまうことは、わりとよくある。でも、彼らの結晶みたいな作品を三百円で観ることができてしまう俺たちがすべきことは、対価を盾にdisったりするんじゃなくて、彼らの想いを読み解くことだと思ってる」
 弥生は考えている。逸郎の言ったことを、自分の中の何かに置き換えて咀嚼しているのだろう。
 偉そうに長広舌してしまった、と反省しながらコーヒーの最後のひと口を飲み干して、音をたてないようにマグを置いた逸郎に、沈黙していた弥生が話しかけた。
「先輩のお部屋には、たくさんあるんですか? 映画のDVD」
 逸郎は自分の部屋の収納棚を思い浮かべた。
 先月末に引っ越したばかりの逸郎の新しい部屋。高松の池の|畔《ほとり》に建つ小ぢんまりとした一軒家だ。その広くなった部屋にしつらえて、相部屋だった寮では置くことのできなかった蔵書や円盤をこの機会に大量に持ち込んで、つい先日収納整理を終えたばかりの棚。
「実家に置いてきたのもあるけど、めぼしいのはほぼ全部持ってきたし、こっちで手に入れたのも結構あるから……、たぶん五百本以上は」
 すごい量……。弥生は感嘆する。
 そこからの逸郎は、弥生に問われるままにいろいろな映画の話をした。最初に観た映画、影響を受けた映画、元気が出る映画、つらいときに観る映画、一番好きな映画。どの話も眼を輝かせて聴く弥生は、自分の知っている映画のタイトルが上がるとさらに前のめりになる。勢いに乗せられ、気がついたら一番好きなヒロインの話までしていた。
「クラリス、かな。『羊たちの沈黙』の、じゃなくてアニメの『カリオストロの城』の方。観たことある? そう。あのクラリス。囚われのお姫様。主役はもちろんルパンだけど、はっきりいってあの映画はクラリスの、クラリスによる、クラリスのためのプロモーションフィルムといっても言い過ぎじゃない。実のところ、あの映画でのクラリスの台詞はそんなに多くないんだ。意味のある長台詞なんて、塔の屋根の上での口上とラストシーンの二か所だけって言ってもいい。にもかかわらず、島本須美さんが当てた彼女の短い呼びかけ、『おじさま』とか『次元さまも』とか『捨てられたの?』とか、あとは節々での息遣いとセルに描かれた二次元の動きだけで、俺たちが納得して夢中になる存在感を顕しているんだ。まだ血気盛んだったころの宮崎駿氏が当時の自分の理想を顕現させた完璧な美少女に、俺もやられちゃったんだな」
 ヤヴァイ、俺、語っちゃってる。
 途中でそう自覚した逸郎だったが、滑り出した口は止められなかった。これは引かれた、と後悔したが、意外なことに弥生も頷きながら聴き入ってくれていた。
 いつの間にか陽も暮れ、窓の外の大通も夜の様相に変わっている。どうやら三時間近く席を占有していたようだ。ドーナツショップから言わせれば、随分と迷惑な客だったのではないか。逸郎のそんな懸念を察してなのか、小さく会釈をして出ていく弥生。逸郎は、レジを預かる店員の表情が緩んだのを見た気がした。
 北上川沿いに材木町を抜け、夕顔瀬橋を渡って舘向まで向かう。
 夜はまだ肌寒い季節だが、今日はなぜだか身体の内側が暖かい。思いのほか充実した一日だった。そう振り返りながら、逸郎は夜の歩道をゆっくりと歩く。真横に並んでいた弥生が数歩前に出てから逸郎に向き直って足を止めた。逸郎も立ち止まる。ぶつかりそうな距離感。逸郎のすぐ目の前、街道を行く車のヘッドライトに照らされて艶やかに光るピンク色の唇が、弥生の静かだが強い願いを紡いだ。
「いつかそのうち、イツロー先輩の部屋に行って、お奨めしてくれる映画を観てみたい……」