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零話 灰色の世界で彼女はひとり光り輝いていた。(比喩では無く)

ー/ー



 東北の四月は灰色だ。
 道路の脇に塹壕のように連なる残雪に冬の間にチェーンで削れたアスファルトの粒子が混ざって灰色のまだら模様になっている。そんなのが街道でも裏道でももれなく続いてて、視界から離れない。おまけに桜はおろか、梅もまだ遠い。曇天も多い。総じて、明るくなる要素がないのだ。
 だが、我が駅弁大学の講堂は違う。全学部の新入生が一堂に揃う本日は、色とりどりの明るい要素たちばかりで一杯だ。

 まあ、実際には黒とか紺とかの装いが大勢を占めてるから、色合い的にはオモテと変わりはないんだけどね。
 そんな独り言を呟きながら、人文社会科学部二年の田中逸郎(イツロー)は除雪されたキャンパスを散歩していた。この街に住みはじめてようやく二年目だが、ひと冬越した経験が彼を慢心させている。講堂の前には式を終えて出てきた新入生たちとその父兄の姿が見える。

 どれ、ひとつツラでも拝みに行くとするか。
 勢いをつけ片足に力を入れた瞬間に、逸郎の天地がひっくり返った。

「イツロー、ダサ過ぎ。新入生が指差して笑ってんぞ」

 後ろを歩いていたはずの島内伸介(シンスケ)が、上から見下ろして大笑いしてる。
 これだから関東もんは、と言いながら差し出す手に掴まって、逸郎は立ち上がった。パンツもダウンの背中も雪だらけだ。気温は零下だから簡単に溶けて染み込んだりはしないが、格好悪いこと甚だしいのは否定できない。

「ほらイツローちゃん、あんよは上手」

「うるさい! ちょっと滑っただけだ。弘法だって木から落ちることはある」

 弘法さまは木登りも上手って話は聞かないしねえ、と言いながらも背中を払ってくれるシンスケ。口は悪いが、悪い奴ではない。が、そもそも、新人の可愛い()探しに行こうぜと誘ってきたのはシンスケの方だ。賛同して勇んで来た我が身を棚に上げ、逸郎は憤然と歩き出した。こうなったらせめて、これはという娘のひとりくらい拝んでおかないと。

 ピカピカの一年生とその父兄の集団の中、用もないのにうろうろしているのは実に不審だ。どちらのフリをするにしても、服装が適当過ぎる。
 こりゃ早々に立ち去った方が無難だな。それにしてもこっちの女の子たちは、なんでこう揃いも揃ってほっぺが赤いんだろうか。やはり環境適応というヤツか。関東の同世代とはぜんぜん印象が違う。なんかこう純というか素朴というか癒されるというか。
 そんなことをつらつらと考えながらぼーっと歩いていた逸郎に、年配の紳士が声を掛けてきた。

「こちらの学生さんだが?」

 そうですが、と逸郎が答える前に紳士は早口で言葉を繋ぎ、さらに一眼レフを押し付けてきた。

「写真、お願いでぎますか。シャッター押していただぐだけで結構だがら。おーい、弥生も母ちゃも、お願いしだがら早く門柱の横さ並べ」

 台詞の後半は振り向いた先の母娘に向けてだろう。
 てか、俺まだOKしてないのにカメラ手渡すとか早過ぎじゃね? ま、別にいいんだけど。

 針葉樹の脇に建つ『人文社会科学部』と彫り込んだ柱の隣に佇む母娘と、ふたりに向かって小走りで駆けていく小太りの紳士。おっさん、急ぐと転ぶぞ、俺みたいに。そう思いながら、一眼レフを手にした逸郎も近づいていく。基本、頼まれたことはきちんとやるタイプではある。案の定転びそうになった紳士だが、娘と奥様に支えられ、なんとか膝をつかずに済んだようだ。

 一眼レフを構えた逸郎は、ファインダーの中の親子を見つめる。右に礼服の父親、左に和服の母親、真ん中には、白いコートを腕に掛けピンク色のスーツを着た見るからに育ち良さげの愛娘。画面の中心に娘を捉えた逸郎は、思わず呟いてしまった。

「可憐だ」

 逸郎がシャッターを切る直前に突風が吹いた。連射モードになっていたカメラがたてるシャッター音の連続に、ばさばさっという音が重なる。ファインダーに映る画面は、さながらホワイトアウトだった。

 雪煙が収まったあとには、真っ白になった三人が取り残されていた。
 突然の風が木を揺すり、枝葉が蓄えていた雪を落としたのだろう。雲が切れ、空には久しぶりの太陽が少しだけ顔をのぞかせている。並びを崩し、身体に降り積もった雪を懸命に払い落としている三人にも陽射しが差し込んだ。

 逸郎はカメラを構え直し、弥生と呼ばれていた少女にズームして何度もシャッターを切り続ける。この灰色の世界で舞い散る雪の結晶を纏った彼女は、ひとりだけ光り輝いていた。比喩などでは無く。


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 東北の四月は灰色だ。
 道路の脇に塹壕のように連なる残雪に冬の間にチェーンで削れたアスファルトの粒子が混ざって灰色のまだら模様になっている。そんなのが街道でも裏道でももれなく続いてて、視界から離れない。おまけに桜はおろか、梅もまだ遠い。曇天も多い。総じて、明るくなる要素がないのだ。
 だが、我が駅弁大学の講堂は違う。全学部の新入生が一堂に揃う本日は、色とりどりの明るい要素たちばかりで一杯だ。
 まあ、実際には黒とか紺とかの装いが大勢を占めてるから、色合い的にはオモテと変わりはないんだけどね。
 そんな独り言を呟きながら、人文社会科学部二年の田中|逸郎《イツロー》は除雪されたキャンパスを散歩していた。この街に住みはじめてようやく二年目だが、ひと冬越した経験が彼を慢心させている。講堂の前には式を終えて出てきた新入生たちとその父兄の姿が見える。
 どれ、ひとつツラでも拝みに行くとするか。
 勢いをつけ片足に力を入れた瞬間に、逸郎の天地がひっくり返った。
「イツロー、ダサ過ぎ。新入生が指差して笑ってんぞ」
 後ろを歩いていたはずの|島内伸介《シンスケ》が、上から見下ろして大笑いしてる。
 これだから関東もんは、と言いながら差し出す手に掴まって、逸郎は立ち上がった。パンツもダウンの背中も雪だらけだ。気温は零下だから簡単に溶けて染み込んだりはしないが、格好悪いこと甚だしいのは否定できない。
「ほらイツローちゃん、あんよは上手」
「うるさい! ちょっと滑っただけだ。弘法だって木から落ちることはある」
 弘法さまは木登りも上手って話は聞かないしねえ、と言いながらも背中を払ってくれるシンスケ。口は悪いが、悪い奴ではない。が、そもそも、新人の可愛い娘《こ》探しに行こうぜと誘ってきたのはシンスケの方だ。賛同して勇んで来た我が身を棚に上げ、逸郎は憤然と歩き出した。こうなったらせめて、これはという娘のひとりくらい拝んでおかないと。
 ピカピカの一年生とその父兄の集団の中、用もないのにうろうろしているのは実に不審だ。どちらのフリをするにしても、服装が適当過ぎる。
 こりゃ早々に立ち去った方が無難だな。それにしてもこっちの女の子たちは、なんでこう揃いも揃ってほっぺが赤いんだろうか。やはり環境適応というヤツか。関東の同世代とはぜんぜん印象が違う。なんかこう純というか素朴というか癒されるというか。
 そんなことをつらつらと考えながらぼーっと歩いていた逸郎に、年配の紳士が声を掛けてきた。
「こちらの学生さんだが?」
 そうですが、と逸郎が答える前に紳士は早口で言葉を繋ぎ、さらに一眼レフを押し付けてきた。
「写真、お願いでぎますか。シャッター押していただぐだけで結構だがら。おーい、弥生も母ちゃも、お願いしだがら早く門柱の横さ並べ」
 台詞の後半は振り向いた先の母娘に向けてだろう。
 てか、俺まだOKしてないのにカメラ手渡すとか早過ぎじゃね? ま、別にいいんだけど。
 針葉樹の脇に建つ『人文社会科学部』と彫り込んだ柱の隣に佇む母娘と、ふたりに向かって小走りで駆けていく小太りの紳士。おっさん、急ぐと転ぶぞ、俺みたいに。そう思いながら、一眼レフを手にした逸郎も近づいていく。基本、頼まれたことはきちんとやるタイプではある。案の定転びそうになった紳士だが、娘と奥様に支えられ、なんとか膝をつかずに済んだようだ。
 一眼レフを構えた逸郎は、ファインダーの中の親子を見つめる。右に礼服の父親、左に和服の母親、真ん中には、白いコートを腕に掛けピンク色のスーツを着た見るからに育ち良さげの愛娘。画面の中心に娘を捉えた逸郎は、思わず呟いてしまった。
「可憐だ」
 逸郎がシャッターを切る直前に突風が吹いた。連射モードになっていたカメラがたてるシャッター音の連続に、ばさばさっという音が重なる。ファインダーに映る画面は、さながらホワイトアウトだった。
 雪煙が収まったあとには、真っ白になった三人が取り残されていた。
 突然の風が木を揺すり、枝葉が蓄えていた雪を落としたのだろう。雲が切れ、空には久しぶりの太陽が少しだけ顔をのぞかせている。並びを崩し、身体に降り積もった雪を懸命に払い落としている三人にも陽射しが差し込んだ。
 逸郎はカメラを構え直し、弥生と呼ばれていた少女にズームして何度もシャッターを切り続ける。この灰色の世界で舞い散る雪の結晶を纏った彼女は、ひとりだけ光り輝いていた。比喩などでは無く。